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ナボイ劇場で見た葉子の幻覚

 場面は変わり、カメラが示すのは、葉子とクルーを乗せ、首都タシケントに向かうワゴン車。荒涼とした砂漠地帯を走る車の窓から、葉子は虚ろな眼差しで景色を眺めている。……タシケントのホテルに着いても、Wi-Fiがつながらず、東京にいる水上消防士の恋人と連絡が取れなかったりで、葉子の気持ちは晴れない。

 そんな憂鬱な気分のまま、葉子は恋人に絵葉書を出すため、広い車道を横切り、柵を乗り越え、薄暗い地下道を小走りで抜け、あてどなく街を歩く(ここでの、2015年の黒沢作品『岸辺の旅』で深津絵里がだだっ広い車道を横切る姿を連想させる、未知の迷路的な空間を歩き、走る葉子の移動=<動線>をとらえる名カメラマン・芦澤明子の撮影、および緩急自在な編集のリズムは、黒沢映画ならではの冴えを見せるが、本作でも、『岸辺~』以降の黒沢作品を特徴づける横長のシネスコ画面が、効果的にフル活用される)。

 やがて、葉子の行く手に、瀟洒(しょうしゃ)な外観の建物が現れる(ウズベキスタンの誇るナボイ劇場)。かすかに聴こえてくる歌声に誘われて、建物の中に足を踏み入れる葉子(引きのショットが連続するなか、葉子が歌声を聴きとる瞬間に挿入される、彼女の横顔の超クローズアップが効果的だ)。精妙な装飾を施された部屋の扉がいくつも連なっている。葉子の視点(主観)ショットを含む、このシーンの移動撮影や編集や照明も素晴らしい(廊下を進む彼女の姿を背後から追う前進移動ショットが、ジャンプカットぎみに編集されるので、その空間の迷路性はいっそう際立つ)。

『旅のおわり世界のはじまり』=公式サイトより拡大『旅のおわり世界のはじまり』=公式サイトより

 葉子が最後の六つめの部屋の扉をそっと開くと、歌声が美しく響き渡る。そこは

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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