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小さなトラブルの連鎖/迂回的エピソード

 したがって『旅の終わり――』では、迂回的なエピソードはけっしてサブストーリーではない。本作での物語上の<迂回>が描くのは、主要モチーフである葉子らと現地の人々との、言葉が通じないゆえの意思疎通の齟齬であり、それによって生じる葉子の受難やクルーの苛立ちである点で、またそれらが葉子の自己実現のモチーフと相即している点で、メインストーリーそのものであるとさえ言える。

 換言すれば、こうした<迂回>は、つまるところ、葉子の自己実現のモチーフという<中心>に向かってなされるわけだ。この点を確認しつつ、ラストのヤマ場に至るまでの、小さなトラブルの連鎖である迂回的エピソードを、ざっと見ておこう。

<水族館>のシーン

 タシケントの水族館に怪魚ブラムルがいる、という情報を得た葉子らは水族館に行くが取材を拒否される。吉岡がその理由をテムルに聞いても、彼の答えは要領を得ない(端的な黒沢的ディスコミュニケーション)。キレた吉岡は、「企画が根底から崩壊してるよ、何なんだよこの国、俺のディレクター生命も終わったよ、これで」などと言う。

<建物の屋上にある食堂>のシーン

 テムル/アディズ・ラジャボフがナボイ劇場のレポートはどうかと提案し、彼自身がその建築への愛着と沿革――第二次大戦下、ソ連の捕虜となった日本人が建設に貢献したことなど――を、延々と日本語で(!)語る長回しを含むくだりに感嘆する。が、吉岡はテムルの提案を視聴率が取れないという理由で却下。吉岡と岩尾は口論になる(意思疎通の不全)。

<チョルスー・バザール(タシケント最大の市場)→警察署、のシーン>

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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