小さなトラブルの連鎖/迂回的エピソード
したがって『旅の終わり――』では、迂回的なエピソードはけっしてサブストーリーではない。本作での物語上の<迂回>が描くのは、主要モチーフである葉子らと現地の人々との、言葉が通じないゆえの意思疎通の齟齬であり、それによって生じる葉子の受難やクルーの苛立ちである点で、またそれらが葉子の自己実現のモチーフと相即している点で、メインストーリーそのものであるとさえ言える。
換言すれば、こうした<迂回>は、つまるところ、葉子の自己実現のモチーフという<中心>に向かってなされるわけだ。この点を確認しつつ、ラストのヤマ場に至るまでの、小さなトラブルの連鎖である迂回的エピソードを、ざっと見ておこう。
<水族館>のシーン
タシケントの水族館に怪魚ブラムルがいる、という情報を得た葉子らは水族館に行くが取材を拒否される。吉岡がその理由をテムルに聞いても、彼の答えは要領を得ない(端的な黒沢的ディスコミュニケーション)。キレた吉岡は、「企画が根底から崩壊してるよ、何なんだよこの国、俺のディレクター生命も終わったよ、これで」などと言う。
<建物の屋上にある食堂>のシーン
テムル/アディズ・ラジャボフがナボイ劇場のレポートはどうかと提案し、彼自身がその建築への愛着と沿革――第二次大戦下、ソ連の捕虜となった日本人が建設に貢献したことなど――を、延々と日本語で(!)語る長回しを含むくだりに感嘆する。が、吉岡はテムルの提案を視聴率が取れないという理由で却下。吉岡と岩尾は口論になる(意思疎通の不全)。
<チョルスー・バザール(タシケント最大の市場)→警察署、のシーン>
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