2019年07月26日
ある単語や人の名前を思い出そうとするが、思い出せない。おぼろげなイメージだけは浮かんでいて、お目当ての語や名前を連想させる周辺語彙はいくつか言える。ウェブ上の検索サイトにそうした関連語を2、3入力すればすぐに知りたい語や名前は出てくるだろう。それでもあえて検索せず、自力で思い出そうとする自分がいる。何かに押し流されないように、足元に力を入れて踏ん張っている感覚にも似ている。その何かに流されて検索してしまったら、その場しのぎはできても、もっと大事なものを失うような気がして、いっそう踏ん張る。
取るに足らない体験だと言ってしまえばそれまでだが、上に書いたようなことに覚えがある人は意外に多いのではないか。身体に蓄えられた記憶を外部装置であるインターネット空間に譲り渡すことへの違和感・抵抗感のことだ。どんなにささいでも、記憶を手繰り寄せることで、こちらの方角からやって来てあちらへ向かおうとしている自分の足取りが確認できるように思える。大げさに言えば、あることを思い出すことで、人は現在を起点とした自身の過去、人生を秩序づけることができるのだ。たとえ無意識的だったとしても。
そう考えると、思い出す作業を検索エンジンにゆだねることへの抵抗感とは、過去をみずから秩序づけられないという不安、あるいは気持ち悪さに由来していると言える。そんなことをつらつら考えていたある日、まさにこの不安に輪郭を与えてくれる一節に出会った。
「インターネットの場合、秩序と明解を求めたはずの検索作業によって、わたしたちは断片的な知識の浮遊する茫洋たる大海に投げ出された感がある」(鶴ヶ谷真一著『記憶の箱舟――または読書の変容』白水社)。
「同じ検索機能ではあっても、索引とインターネットはまさに正反対の作用を意識に及ぼしている。索引は読書によって与えられた一般的な知識をさらに選別して明確にし、自身に固有の有機的な知の体系に組み入れるための装置となる」。それに比べてインターネットは、私たちを「無秩序な混沌に引き戻」してしまうのではないか、と(同)。
インターネット時代における知とは何か、情報とは何かを考えさせられる本書は、記憶の重層性とその有りようを問うことが、古今東西の書物の形態(写本、版本、刊本など)や読書の在り方(素読、会読、音読、黙読など)を辿る行為と必然的につながることを説得的に示している。書物の形態や歴史を通して、人間が記憶を外部装置化するに際して凝らした工夫や払った努力を発見できる、ということだ。
たとえば、素読という経験は人々に何を与えたのか。武士の娘として明治6(1874)年に生まれ、後に渡米した作家杉本鉞子(えつこ)は、6歳から四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)の素読を施された。「幼いのですから、この書の深い意味を理解しようとなさるのは分を越えます」と諭されながら受けた素読について、後年著した自伝で次のように記す。
素読の意義とは、「意味という概念の定着する意識を透りぬけ」た言葉を、「より深い無意識の層に、つまり身体性にまで沁みとおらせる」ことにあった。内田百閒や湯川秀樹も、素読の同様の恩恵にあずかったエピソードが紹介される。
つまり、素読が可能にする知(ここでは四書の言葉)の獲得とは、何度も声に出し暗唱することで、言葉をその人の「身体性にまで沁みとおらせる」ことだった。「暗唱」とあるように、知の獲得は身体を使って記憶する行為と不可分なのだ。
こうした、身体に結びついたものとしての記憶=知のありようは、もちろん、日本にだけ見られるのではない。中世ヨーロッパの修道院においても、修道士は聖書の詩編を暗記するために「体を揺すりながら朗唱したり、リズムをつけて歌ったりした」。
中世欧州の修道院文化では、読書とは音読を指すことが一般的だった。なぜ黙読が難しかったかというと、当時の書記法では「語間のスペースもなく、句読点も、大文字・小文字の区別もな」く、文章が「びっしりと隙間なく記されて」おり、「読むには一語一語を分節しながら声に出して、あるいは指先で一字ずつたどりながら読み進めるほかはなかった」からだ。だから当時の読書は「全精神とともに全身体をともなう行為」であり、「運動療法を必要とするいくつかの病気」にかかった人に、「医師たちは、散歩や競争や球技とならんで、体操として読書を勧め」、「反対に、病気の修道士はしばしば体力を消耗する読書を控えなければならなかった」という。
読書する上での、このような苦労を軽減したのが、「句読点」の考案と「分かち書き(単語と単語のあいだにスペースを空ける、現在一般的に見られる書記法)」の採用だ。12世紀のフランス全土に黙読が広く普及していった背景には、こうした書記法の変化があった。句読点の考案や分かち書きの発達はさらに、13世紀半ば、フランスの修道院での最初のアルファベット順索引の誕生を可能にした。
欧州における大学の成立、それに伴う知識人の誕生や都市の発達などが相まって、「それまで修道院内の限られた学生を対象にしていた教育方針が変革を迫られ」たことも、索引誕生を促した。つまり「知識の習得を重視する合理的な方法」が求められた結果、索引が作られるに至ったのだ。
こうして、読書という行為は「修道士の読書」から「学者の読書」へと変容した。聖書の一言一句のみならず注釈書、写本同士の関係まで残らず暗記していたトマス・アクィナスをはじめ「自身が生きた用語索引であった中世人」は、現物としての索引を必要としなかった。ところが知の合理化が進むなかで彼らは姿を消す。「かつて記憶によってなされていた固有の知識体系の構築をはるかに容易にした」当のものが、索引ということになる。
「索引の誕生から八世紀を経た現在、インターネットという検索システムの出現は、それ(知の合理化、引用者注)をさらに推し進めた歴史的必然とみえるかもしれない」としながら、「少し立ち止まって考えれば、それが誤った認識であることに気づくだろう」と著者は述べる。
この後に置かれるのが、最初の引用で示した文章である。つまり、知の合理化・体系化に貢献した書記法や索引を備える書物と、「茫洋たる大海に投げ出された感」を私たちにもたらすインターネット空間とは、性質が根本的に違う、という見方だ。書物によって外部化される記憶は「自身に固有の有機的な知の体系」に組み入れ可能であるのに対し、インターネットで外部化されるのは断片として浮遊するしかない記憶だからだ。
ここですかさず、ウンベルト・エーコの次の箴言が引用される。「索引という検索機能を備えたことで、書物は完成された知の媒体となった。それはスプーンや車輪のように、それ以上改良する余地のない完成品となったのだった」。
索引を備えたことで、書物が知の媒体として「完成品」になったと見なす背景にも、「自身に固有の有機的な知の体系」と親和性が高いのは、インターネットでなく書物のほうだ、という判断が働いているだろう。そもそも混沌や無秩序に何らかの形を与えようとすることが人間の知的活動なら、無秩序なままのインターネット空間が、即「知の媒体」となるはずがない、ということだ。
とはいえ、著者はエーコの判断さえ、最後に保留する。だからインターネットより書物に価値があるのだ、といった安易な主張はまったくしない。むしろそういう主張・判断は意識的に避けられ、本書は次のように結ばれる。
「しかし過去は過去として、テクノロジーの発達とそれに応じる人間の適応力には、はるかに予測を超えるものがある。いつの日かスプーンや車輪がなくなるとき(車輪のないリニアモーターカーが現に実験走行中)、本もまた姿を消すことになるのかもしれない」
書物が姿を消す可能性は念頭に置きつつ、しかし読者としては、書物が知の媒体としていかに優れた機能を持っているかについて、改めて気づかされる一冊だった。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください