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私たちの記憶はどこへ? 知と書物を考える一冊

佐藤美奈子 編集者・批評家

Chinnaponshutterstock拡大インターネット時代の「知の体系」と書物のありようとは? Photo: Chinnapon/Shutterstock.com

ウェブ検索により混沌に引き戻される不安

 ある単語や人の名前を思い出そうとするが、思い出せない。おぼろげなイメージだけは浮かんでいて、お目当ての語や名前を連想させる周辺語彙はいくつか言える。ウェブ上の検索サイトにそうした関連語を2、3入力すればすぐに知りたい語や名前は出てくるだろう。それでもあえて検索せず、自力で思い出そうとする自分がいる。何かに押し流されないように、足元に力を入れて踏ん張っている感覚にも似ている。その何かに流されて検索してしまったら、その場しのぎはできても、もっと大事なものを失うような気がして、いっそう踏ん張る。

 取るに足らない体験だと言ってしまえばそれまでだが、上に書いたようなことに覚えがある人は意外に多いのではないか。身体に蓄えられた記憶を外部装置であるインターネット空間に譲り渡すことへの違和感・抵抗感のことだ。どんなにささいでも、記憶を手繰り寄せることで、こちらの方角からやって来てあちらへ向かおうとしている自分の足取りが確認できるように思える。大げさに言えば、あることを思い出すことで、人は現在を起点とした自身の過去、人生を秩序づけることができるのだ。たとえ無意識的だったとしても。

 そう考えると、思い出す作業を検索エンジンにゆだねることへの抵抗感とは、過去をみずから秩序づけられないという不安、あるいは気持ち悪さに由来していると言える。そんなことをつらつら考えていたある日、まさにこの不安に輪郭を与えてくれる一節に出会った。

 「インターネットの場合、秩序と明解を求めたはずの検索作業によって、わたしたちは断片的な知識の浮遊する茫洋たる大海に投げ出された感がある」(鶴ヶ谷真一著『記憶の箱舟――または読書の変容』白水社)。

鶴ヶ谷真一著『記憶の箱舟――または読書の変容』白水社拡大鶴ヶ谷真一著『記憶の箱舟――または読書の変容』(白水社)
 そうだ、そうなのだ。私が感じていた不安や気持ち悪さとは、一見「秩序と明解」が得られるように思える検索作業が実は、「茫洋たる大海に投げ出された感」をもたらす気味の悪さに通じている。この引用箇所で、インターネットの検索機能が何と比較されているのかというと、「索引」だ。学術書の巻末などに「人名索引」「事項索引」などとしてよく付されている、あの「索引」、indexである。

 「同じ検索機能ではあっても、索引とインターネットはまさに正反対の作用を意識に及ぼしている。索引は読書によって与えられた一般的な知識をさらに選別して明確にし、自身に固有の有機的な知の体系に組み入れるための装置となる」。それに比べてインターネットは、私たちを「無秩序な混沌に引き戻」してしまうのではないか、と(同)。

 インターネット時代における知とは何か、情報とは何かを考えさせられる本書は、記憶の重層性とその有りようを問うことが、古今東西の書物の形態(写本、版本、刊本など)や読書の在り方(素読、会読、音読、黙読など)を辿る行為と必然的につながることを説得的に示している。書物の形態や歴史を通して、人間が記憶を外部装置化するに際して凝らした工夫や払った努力を発見できる、ということだ。

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筆者

佐藤美奈子

佐藤美奈子(さとう・みなこ) 編集者・批評家

1972年生まれ。書評紙「図書新聞」で記者・編集者をつとめた後、2008年よりフリーランスに。現在、講談社などで書籍編集・ライターの仕事をし、光文社古典新訳文庫で編集スタッフをつとめる。自身の読書の上では吉田一穂、田村隆一といった詩人の存在が大きい。「死と死者の文学」を統一テーマに「古井由吉論」「いとうせいこう・古川日出男論」(各100枚)を『エディターシップ』2、3号に発表。