戦争と震災――体験との距離をめぐって
2019年07月30日
東日本大震災が発生した2011年の当初より感じていたことではあるけれど、「当事者ではないから」という理由によって、自身の震災体験をうまく語れない、もしくは語りづらくなっている人が無数にいる。
当時強い揺れを体験して放射能の影響に慄(おのの)いた東京の人たちも、インターネットやテレビから溢れる情報に自らの立場を問われ続けた西の人たちも、「東北にはもっと大変な人がいる」「興味本位で関わることはできない」「自分の持ち場で粛々と仕事をする」……などと言って、当時の心情や状況についてなかなかパブリックに語れてはこなかった。しかし実を言えば、それは被災した東北沿岸のまち、例えば津波で甚大な被害を受けた陸前高田でも同様で、多くの人が「自分よりもっと大変な目に遭った人がいる」と感じ、口をつぐむ場面が多々あったのだ。
このような、“一番の被災者(=死者)”を中心とした当事者性のグラデーションは、おそらく日本全土の人たちや、日本や東北に何らかの縁を持つ海外在住の人たちにも広くつながっていて、それぞれが、より強い当事者と自身の立場を比較することによって、自らや近しい人たちのことを他者に語る難しさ――“語れなさ”を感じていたのだと思う。
発災から時が経ち、毎年のように自然災害が起き、無数の被災者が生まれ続けることで、“語れなさ”はより複雑化していることも記したい。ひとつ例を挙げると、2016年4月に大地震が起きた熊本を、その約1年後に訪ねた際には、「私たちは東北よりも規模が小さいから、辛いと言うのは気が引ける」という言葉を聞いた。当時、熊本の被災ももちろん注目されてはいたが、おそらくそれよりも、「東北の復興がまだまだ」と報道やSNSなどを通して発信されていたことが、そう語ってしまう、もしくは語らされてしまう背景にあったのではないかと感じている。
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