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ブロードウェーの巨匠、ハロルド・プリンスを悼む

ミュージカルの地平広げた生涯

山口宏子 朝日新聞記者

ヒットメーカーにして、改革者

ハロルド・プリンス追悼ハロルド・プリンスさん。おでこにメガネをのせるのが、いつものスタイルだ=2018年、ニューヨーク、増池宏子氏撮影

 ブロードウェーミュージカルの巨匠、ハロルド・プリンスさんが7月31日、滞在中のアイスランドで亡くなった。91歳だった。

 「ウエスト・サイド・ストーリー」「屋根の上のヴァイオリン弾き」「キャバレー」「エビータ」「オペラ座の怪人」など、世界中で上演を重ねる傑作ミュージカルの数々を世に送ったプロデューサーで演出家。アメリカ演劇界で最高の栄誉である「トニー賞」を生涯で21回も受けた。

 プリンスさんは、楽しく、美しいミュージカルの中に、社会や歴史を考える主題を盛り込み、深みと陰影のある舞台を作り続けた。大ヒットメーカーであると同時に、20世紀後半以降のミュージカルに新たな地平を切り開いた改革者でもあった。

ハロルド・プリンス追悼劇団四季「オペラ座の怪人」の舞台。クリスティーヌをさらい、地下の湖をゆくファントム=2017年横浜公演、下坂敦俊氏撮影

 1928年、ニューヨークで生まれたプリンスさんは20代でミュージカル制作の道に入った。手掛けた作品を振り返ると、その多くが、王道のブロードウェーミュージカルでありながら、陽気なハッピーエンドとは異なる暗さや、現実の問題に斬り込む鋭さを持っていることが分かる。

 キャリアをスタートしたばかりのころにプロデューサーとして手掛けた「パジャマゲーム」(54年)は、ラブコメディーの背景にパジャマ工場の労働問題があった。

 「金字塔」ともいえるプロデュース作「ウエスト・サイド・ストーリー」(57年)では、ニューヨークの下町を舞台に、敵対する二つの移民グループの若者たちを描いた。

 彼らは抗争の中で命を落とし、恋は引き裂かれる。下敷きになっているシェークスピア劇「ロミオとジュリエット」は名家同士の確執が恋の障害だったが、「ウエスト・サイド――」では、出自の違う貧しい者同士の反目が悲劇を生む。多彩なナンバー、躍動的なダンスで観客を魅了する一方で、民族間の対立や移民問題など、様々な世界の実相を映し出し、初演から60年以上たったいまも、生々しく観る者を揺さぶる名作だ。

 レナード・バーンスタイン音楽、スティーブン・ソンドハイム作詞、ジェローム・ロビンス演出・振り付けと、作り手は大物ぞろい。映画でも親しまれ、ブロードウェーを象徴する作品のように思えるが、実は初演当時、トニー賞で作品賞を逸し、賞は二つ(振り付け、装置デザイン)しか受けていない。いま考えると不思議な気がする。

 この年、作品賞を含め7冠に輝いたのは明朗なコメディー「ミュージック・マン」だった。「ウエスト・サイド――」、この時はまだ、斬新すぎたのだろうか。

一癖ある名作を次々と

 同じくプロデューサーを務めた「屋根の上のヴァイオリン弾き」(64年)は、19世紀末のロシアの寒村で生きるユダヤ人一家の物語。親と子の葛藤、伝統を守る者と打ち破ろうとする者との摩擦、漂泊するユダヤの民の悲しみなどが重層的に表現されている。

 その後はプロデューサー兼演出家としての仕事が増えた。

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