丸山あかね(まるやま・あかね) ライター
1963年、東京生まれ。玉川学園女子短期大学卒業。離婚を機にフリーライターとなる。男性誌、女性誌を問わず、人物インタビュー、ルポ、映画評、書評、エッセイ、本の構成など幅広い分野で執筆している。著書に『江原啓之への質問状』(徳間書店・共著)、『耳と文章力』(講談社)など
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
アラン・ドロンともただならぬ仲に。自分なりの哲学を持って生き抜いたパリの赤いバラ
終戦から5年、1950年に22歳で単身パリへ渡った日本人女性がいる。谷洋子(1928~1999)。曲折をへて女優となった彼女は、世界12か国の映画に出演、日本初の国際女優として名をなした。そのベールに包まれた生き様を綴ったノンフィクションを上梓したばかりの遠藤突無也さんに、その大胆にして華麗な人生について「上」「下」2回で語ってもらった。
8月初旬に発売された『パリの「赤いバラ」といわれた女』(さくら舎)は、日本初の国際女優として大スターとなった谷洋子の生涯を紐解いたノンフィクション。「日本初の国際女優・谷洋子の愛と勇気の人生(上)」では著者である遠藤突無也さんに取材を通して明らかになった洋子の女優としての活躍ぶりについてうかがった。後編では、一人の女としての洋子の生き様を中心に語っていただいた。
遠藤突無也さん 歌手・日仏映画研究家
東京都に生まれる。1992年よりパリでの歌手活動を開始。96年、世界的な作曲家アンジェロ・バダラメンティに見いだされ、同氏のプロデュースにより「Ruby Dragonflies」をリリース。07年、アルバム「Un Japonais a Paris パリの日本人」を発表。同年、殿堂《オランピア劇場》でのコンサートで成功を収め、仏メディアの注目を集めた。著書に『日仏映画往来』(松本工房)、『日本映画黄金期』(フランスCarlotta films)など。
日本を飛び出し、第二次世界大戦直後の文化の香り溢れるパリへ向かった洋子の人生は、驚くほど多彩な知人たちに彩られています。
先に触れたマルセル・カルネにはじまり、アラン・ドロン、セルジュ・ゲンズブール、ジャン・コクトー、ガブリエル・コレット、イヴ・モンタン、ヘンリー・ミラー、モーリス・シュヴァリエ、ジルベール・ベコー、アンリ・サルバドール、黒澤明、藤田嗣治、フェルナン・レジェ、モーリス・ド・ヴラマンク、サルバドール・ダリ、マリー・ローランサン……、果てはビン・ラディンまで。
『パリの「赤いバラ」といわれた女』ではこうした人達と洋子をめぐるエピソードを随所に鏤めました。「へぇー」と驚くのと共に、洋子がいかにフランスに溶け込み、フランス人に慕われていたかという理解を深めていただけることでしょう。
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