丸山あかね(まるやま・あかね) ライター
1963年、東京生まれ。玉川学園女子短期大学卒業。離婚を機にフリーライターとなる。男性誌、女性誌を問わず、人物インタビュー、ルポ、映画評、書評、エッセイ、本の構成など幅広い分野で執筆している。著書に『江原啓之への質問状』(徳間書店・共著)、『耳と文章力』(講談社)など
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
アラン・ドロンともただならぬ仲に。自分なりの哲学を持って生き抜いたパリの赤いバラ
驚いたのは、洋子がかつての夫ロランに経済的な援助をしていたことでした。ロランはおそらく金欲しさに出した本の中で、洋子との情熱的な恋にも触れ、眉唾(まゆつば)だとしか思えないような性にまつわる赤裸々なエピソードも暴露していますが、このことも彼女は容認していました。
洋子は周囲の人に「別れた夫のみじめな姿を見るのは嫌だから」と言っていたのですが、このことから慈悲深い女性であったことがわかります。この一件に限らず、取材をしながら潔いな、気っ風はがいいなと幾度思ったかしれません。
ロジェが亡くなった後の洋子は本当に寂しそうだったといいます。占いに凝り、孤独から逃れるために買い物や酒で憂さを晴らします。「ll n’y a plus d’aprè s あとには何もない」というサン=ジェルマン=デ=プレの様変わりを描いたシャンソンがありますが、洋子もそんな心境だったのでないでしょうか。
ロジェと暮らしていた頃は毎夜のようにゲストを招き、洋子の徹底したホステスぶりには目を見張るものがあったという証言がありました。綺麗に着飾り、華やかな笑顔で客を迎え、もてなしていたと。
洋子はロジェの死後から数年後の1999年に、肺がんのため他界しました。がんだと告知を受けてから800万円もかけて歯を治療しているのですが、「ロジェに再会する時に綺麗(きれい)でいたい」と語っていたといいます。洋子を知る人達は口をそろえて「洋子は男が放っておけないほど可愛い女だった」と言いましたが、それを象徴するようなエピソードだといえるでしょう。
取材を終えた私には一つの謎が残されました。
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