舞台に託された声を聞き、死者と語る
2019年08月18日
一人は現代を代表する劇作家で、憲法を守る運動の旗頭。もう一人は、日本最大の劇団を率いた演出家であり、改憲に強い意欲を示す中曽根康弘元首相のブレーンも務めた人物。
政治的な立場は対照的だが、作品からは「誤った未来を選択しないために、過去に学ばなくては」という同じ声が聞こえてきた。
古来、演劇は「死者」と語り合う芸術でもある。劇中で死者たちが語る。世を去った作り手たちも、作品が上演されるたびに新たな命を得て、観客に語り続ける。
井上が書いた『父と暮せば』は、被爆と敗戦から3年たった広島が舞台の父と娘の二人芝居だ。生き残ったことに負い目を抱き、「恋をしてはいけない。幸せになる資格はない」と思っている美津江のもとに、原爆で命を落とした父・竹造が「恋の応援団長」として現れる。
1994年の初演から、井上が作った「こまつ座」が公演を重ねてきた。そのほか、リーディングなども含めて各地で広く上演されている。英語、ドイツ語、イタリア語、中国語、ロシア語などに翻訳され、映画化(黒木和雄監督、宮沢りえ、原田芳雄出演、2004年)もされた。
この8月は俳優の野々村のんが主宰する「なないろ満月」が、寺十吾(じつなし・さとる)の演出、佐藤B作の竹造、野々村の美津江で上演した(7~12日、東京・下北沢の駅前劇場)。
描かれるのは、美津江が暮らす簡易住宅での4日間。この小さな世界に、井上は、核と人間という巨大な主題を込めた。
あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。だから被害者意識からではなく、世界五十四億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである。(新潮文庫『父と暮せば』収録の前口上)
といっても、そこは井上作品。決して難しい芝居ではない。つづられるのは、ユーモアに満ちた、父と娘の日常。「駅前マーケット」で売られていたまんじゅうの大きさに感心したり、父が自慢の「じゃこ味噌」を作ったり……。父娘の人間像と暮らしの細部が丁寧に描かれる。
調子の良さと愛敬の中に、娘への深い情愛がにじむ佐藤の竹造。快活な素顔に、親しい人々を失った悲嘆と生き残った自責の念が濃い影を落とす野々村の美津江。ともに好演だった。
今回の上演では、これが「記憶」と「記録」についての劇であることが、改めて強く印象に残った。
美津江は学生時代、地域で伝えられた話を聞き集め、次代に伝える「昔話研究会」の副会長だった。いまは図書館に勤めている。そこを訪れ、彼女の心を動かした木下青年は、占領軍の目が光る中、原爆の資料を探し、収集している。
終盤の山場、父娘の悲痛な別れの場面は、二人の「回想」として演じられる。
竹造 わしの一等(えっとー)おしまいのことばがおまいに聞こえとったんじゃろうか。「わしの分まで生きてちょんだいよォー」
美津江 (強く頷く)……。
竹造は「おまいはわしによって生かされとる」と言い、こう続ける。
竹造 あよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを覚えてもろうために生かされとるんじゃ。おまいの勤めとる図書館もそよなことを伝えるところじゃないんか。
美津江 え……?
竹造 人間のかなしかったこと、たのしかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが。
記憶する、記録する、自らを省みる、考える、そして伝える――。
この繰り返しの中でしか、よりよい未来は築けない。だから、あったことを「忘れない」ために、井上は、あの戦争について、いくつもの戯曲を書いた。『父と暮せば』はその中で、最も小粒な、でも一番温かな光を放つ一編だ。
浅利が企画・構成・演出を手掛けた『ミュージカル李香蘭』は、日本人の両親のもと中国で生まれ、「中国人女優」としてアジア各地で絶大な人気を博した李香蘭=山口淑子(1920~2014)の半生を縦糸に、1920年代から45年の日本敗戦までの出来事を横糸に織り上げた舞台だ。多彩な音楽(三木たかし作曲)、ダイナミックなダンスを盛り込みながら、スケールの大きな歴史絵巻が繰り広げられる。
劇団四季が91年に初演。浅利が四季の経営から退いた2014年以降は、浅利演出事務所の主催で公演を重ねた。今回は、昨年亡くなった浅利の追悼公演として7月27日から8月12日まで、東京・浜松町の自由劇場で上演。初演から李香蘭役で主演している野村玲子と、「もう一人のヨシコ」として劇を進行する川島芳子役の坂本里咲の二人が、浅利演出を忠実に再現した。
浅利は、「キャッツ」「エビータ」「オペラ座の怪人」など数々の大ヒットミュージカルを上演し、またファミリーミュージカルを数多く創作してきた四季の蓄積を『李香蘭』に注ぎ込んだ。
舞台を作る過程で、若い俳優たちが戦争についてあまりに知識が乏しいことに衝撃を受けたという浅利は、このミュージカルで、時代の実相を語ることに重点を置いた。そのため、舞台のもととなった『李香蘭 私の半生』(山口淑子・藤原作弥の共著、新潮文庫)に詳しく書かれた、中国と日本の間で生きる李香蘭の葛藤などにはあまり深く踏み込まない。そのかわり、当時の日本の政治や社会、軍の状況などを克明に追ってゆく。
いわば、ミュージカルによる「歴史教育」のような作りだ。初演のころは、この教科書風の展開に物足りなさを感じた。だが、あの戦争がどんどん遠くなってゆく近年は、美しい歌とダンス、テンポのよい展開で観客を楽しませながら、豊富な「史実」を提示し、知識を伝えるこの舞台の意義を強く感じている。
今年の上演で、特に深く胸に刺さったことがある。
それは、日本が無謀な戦争への道を突き進み、悲惨な敗戦に至る中で、いかに異論が封殺され、排除されていったかを語る場面だ。
例えば、戦費の現実を語った高橋是清蔵相が殺害される二・二六事件。あるいは、国会での粛軍・反軍演説による斎藤隆夫の除名。いずれも短い場面だが、不気味な生々しさで迫ってきた。
劇場に置かれたリーフレットに、かつて浅利がパンフレットに寄せた原稿が掲載されていた。「語り継ぐ日本の歴史」と題されたその文章の一部を引用しよう。
(中国戦線が泥沼にはまり、日米開戦した)この時期の日本には、こうした場合重要な役割を果たすべき、「政治」が不在だった。リーダー達は「視界狭窄(きょうさく)」に陥り、それまでの「行きがかり」を捨てきれず、結果多くの国民を破滅と死の淵に突き落とした。世論を戦争にかき立てたジャーナリズムの責任も極めて重大である。
民を軽んじる「官僚主義」と、これに不可分な「事なかれ主義」は、過去も、現在も、日本人の社会を蝕(むしば)む宿痾(しゅくあ)ではないかと思い至った時、鳥肌が立った。
浅利が遺した言葉が、2019年の日本社会を撃つように響く。
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