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井上ひさしと浅利慶太の「戦争」

舞台に託された声を聞き、死者と語る

山口宏子 朝日新聞記者

「記憶」の中で生き続けること

井上ひさしと浅利慶太拡大『父と暮せば』の舞台。佐藤B作(左)と野々村のん=小崎紗織氏撮影

 描かれるのは、美津江が暮らす簡易住宅での4日間。この小さな世界に、井上は、核と人間という巨大な主題を込めた。

 あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。だから被害者意識からではなく、世界五十四億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである。(新潮文庫『父と暮せば』収録の前口上)

 といっても、そこは井上作品。決して難しい芝居ではない。つづられるのは、ユーモアに満ちた、父と娘の日常。「駅前マーケット」で売られていたまんじゅうの大きさに感心したり、父が自慢の「じゃこ味噌」を作ったり……。父娘の人間像と暮らしの細部が丁寧に描かれる。

 調子の良さと愛敬の中に、娘への深い情愛がにじむ佐藤の竹造。快活な素顔に、親しい人々を失った悲嘆と生き残った自責の念が濃い影を落とす野々村の美津江。ともに好演だった。

井上ひさしと浅利慶太拡大『父と暮せば』の舞台。佐藤B作(右)と野々村のん=小崎紗織氏撮影

 今回の上演では、これが「記憶」と「記録」についての劇であることが、改めて強く印象に残った。

 美津江は学生時代、地域で伝えられた話を聞き集め、次代に伝える「昔話研究会」の副会長だった。いまは図書館に勤めている。そこを訪れ、彼女の心を動かした木下青年は、占領軍の目が光る中、原爆の資料を探し、収集している。

 終盤の山場、父娘の悲痛な別れの場面は、二人の「回想」として演じられる。

竹造 わしの一等(えっとー)おしまいのことばがおまいに聞こえとったんじゃろうか。「わしの分まで生きてちょんだいよォー」

美津江 (強く頷く)……。

 竹造は「おまいはわしによって生かされとる」と言い、こう続ける。

竹造 あよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを覚えてもろうために生かされとるんじゃ。おまいの勤めとる図書館もそよなことを伝えるところじゃないんか。

美津江 え……?

竹造 人間のかなしかったこと、たのしかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが。

 記憶する、記録する、自らを省みる、考える、そして伝える――。

 この繰り返しの中でしか、よりよい未来は築けない。だから、あったことを「忘れない」ために、井上は、あの戦争について、いくつもの戯曲を書いた。『父と暮せば』はその中で、最も小粒な、でも一番温かな光を放つ一編だ。

 


筆者

山口宏子

山口宏子(やまぐち・ひろこ) 朝日新聞記者

1983年朝日新聞社入社。東京、西部(福岡)、大阪の各本社で、演劇を中心に文化ニュース、批評などを担当。演劇担当の編集委員、文化・メディア担当の論説委員も。武蔵野美術大学・日本大学非常勤講師。共著に『蜷川幸雄の仕事』(新潮社)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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