河野外相こそ無礼。日韓関係を考える最低限の条件
日韓請求権問題の基本は、不法な植民地化という事実である
杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

南官杓(ナム・グァンピョ)駐日韓国大使(右)を外務省に呼び、抗議する河野太郎外相(左)=2019年7月19日
日韓間のきしみと日韓請求権協定
近年の日韓関係のきしみは激しい。竹島問題、「慰安婦」問題、元徴用工による提訴・韓国大法院(最高裁)の判決、その後の日韓の応酬、そして日本による経済制裁(私は制裁だと判断する)の発動等、日韓関係にかかわる記事を目にしない日はない。しかも日々のニュースは耳目を驚かすものも多い。
なかでも驚かされたのは、7月19日に、河野太郎外相が、外務省に呼ばれて説明を行なおうとした駐日韓国大使のことばをさえぎった上に、語気を強めて「極めて無礼だ」とまで述べた事実である(朝日新聞2019年7月20日付)。
だが大使とは、国家元首の代理人である。その大使に対して、なぜそれほどのぶしつけな振る舞いをなしうるのか。心中でそのように思うことはありえよう。だが外交交渉は個人的な感情をむき出しにする場ではない。そうした突発的で感情的な態度・発言は、外交の名に値しない。私は河野外相の態度に、おごりと、韓国を見下す視線、そして問題に対する本質的な無理解を見る。
なぜこんなことになったのか。多様な事情が関係するが、根本には、1965年の日韓請求権協定に関わる日本政府のかたくなな態度が、さらなる淵源をたどれば同協定の存在理由たる、日本による韓国併合(以下、そのつどの文脈に応じて「韓国」と「朝鮮」を使い分ける)の事実が、そしてそこへと収斂する、数十年にわたる対朝鮮介入・攻略の事実が、問われうる。
請求権協定の解釈
まず請求権協定について言えば、いかに条文に「完全かつ最終的に解決された」と記されようと(第2条第1項)、朝鮮人徴用工を使役した日本企業に対する個人の請求権自体は放棄されたとは言えない。そのことを日本政府も認めるが、請求権を実体的な権利としては否定する、つまり個人の被害は救済されないと見なしている点が問題なのである。だが、この解釈と司法のそれとの間には、小さくないズレがある(後述)。その点で、日本政府のかたくなな態度は非難されなければならない。
ふり返れば、日本側の請求権協定交渉時の姿勢自体、非難に値するものであった。日本政府は、ベトナムへの介入を強めたアメリカが対韓援助を縮小し始めた時期に、韓国に対し「経済協力」を約しただけであって(朴根好『韓国の経済発展とベトナム戦争』御茶の水書房、83頁)、それを代償にして、韓国政府が求めていた個人補償を執拗に拒否したのであるから。
しかも日本は、韓国の植民地化を通じて蓄積した資本と、また1950~53年の朝鮮戦争特需のおかげで経済再興のきっかけをえたが(一方朝鮮は朝鮮戦争によって大打撃をこうむった)、日本側はその事実さえ無視し、経済的に最貧国状態にとどまっていた韓国側の足元を見すかした強引な交渉を行った。そうした事実に、私は日本人として忸怩たる思いを禁じえない。