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画面に引き込む眩惑的な移動撮影

 いずれのパートにおいても、人間心理の機微に触れる展開と混然一体となった、オフュルスの作家的刻印たる、流麗な移動撮影にうならされる――と書きつつ、オフュルスの移動撮影は果たして「流麗」なのか、という疑問も浮かぶ。

 たとえば、思いきり人工的に作りこまれた装飾的なセット空間の中を、踊ったり歩いたり走ったり階段を上り下りする人物/役者を追って、横移動し、垂直あるいは斜めに上昇し下降し、前進したり後退したり、あるいは大きな弧を描いたりする、緩急自在の生命体のようなカメラのクレーン移動。その移動撮影は、なるほど異様な視覚的快感をもたらすが、テオ・アンゲロプロス監督や相米慎二監督の長回しショットによるそれに比べて、多くの場合、カメラは意外に短い距離しか動かない。したがってオフュルスの移動撮影には、むしろ快くも目まぐるしいといった印象がある。

 また、その移動撮影の目まぐるしさの印象は、カメラの短い移動距離だけではなく、カメラが追う人物/役者の手前をさえぎる格子窓、ブラインド、カーテン、鏡、鳥かご、観葉植物、間仕切り・衝立(ついたて)などが、しばしば移動画面に映りこむ――動く人物/役者は瞬間ごとに見え隠れする――ゆえに、生まれるものでもある。

 そして、その際に人物/役者の動きを、文字どおり“ブラインド/見えなくするもの”として映る窓は、花々で飾られていたりロココ的なデザインが精妙にあしらわれているので、おのずと窓越しに人物をとらえる画面には、バロック的な装飾性がきわだつ(むろんその場合の画面は、奥行きを生かした縦の構図――ただし瞬間ごとに変化する――となる)。さらにオフュルスの作品では、オーソン・ウェルズの作品でも見られる、フレームが斜めに傾いたバロック的(反古典的)傾斜画面や、吹き抜けになった壮麗な大広間の階段を人物が上り下りする、凝りに凝ったショットなども印象的だ。

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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