メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ゴーモン特集、オフュルス『快楽』は奇跡の傑作

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

マックス・オフュルス監督『快楽』(1952)マックス・オフュルス監督『快楽』(1952)=ゴーモン特集の公式サイトより

 今回はゴーモン特集の演目中、前回取り上げた『顔のない眼』(ジョルジュ・フランジュ監督)とならんで、極私的偏愛映画の一本である、マックス・オフュルス監督『快楽』(1952)を論じたい。

 『女の一生』で知られる19世紀フランスの小説家、ギィ・ド・モーパッサンの三つの短編を原作に仰ぎ、天才オフュルスが3話構成のオムニバス形式で映画化した、文字どおり奇跡のような傑作だが、何より、変幻自在に動いてやまぬ、オフュルスならではのカメラに酔いしれる(本作のカメラワークについては後述)。

――〔第一話:仮面の男――老いと情熱のドラマ〕:仮面舞踏会で若い美男の仮面をつけた老人(ジャン・ガラン)が卒倒。医者(クロード・ドーファン)が老人を送り届けたアパートは薄暗く粗末だったが、若い頃から女たらしであった夫についての愚痴を医者にえんえん喋りつづける老妻(ギャビー・モルレー)は、そんな放蕩者の夫に性的快楽などとは無縁の親密さを抱いていた……。

〔第二話:メゾン・テリエ――売春と無垢のドラマ〕:ノルマンディの娼館メゾン・テリエの娼婦たちをめぐる物語。娼館の女将(マドレーヌ・ルノー)が、田舎で執り行われる弟の指物師(ジャン・ギャバン)の娘の初聖体拝領に、娼婦たちを連れて出かける顛末がメインプロットだが、式が始まり清楚な娘の姿を目にした女たちは、過ぎし日の思い出を呼び起こされ、涙を流す(田舎と都会の対比が妙味を添える、なんとも味わい深く心温まる一編だが、賛美歌の流れる教会の場面や、生い茂る草木などの自然描写が、息をのむ美しさ)。なお、この一編のヒロインは娼婦ローザで、美人女優ダニエル・ダリューが快活に艶(つや)っぽく演じている……。

〔第三話:モデル――恋愛と倦怠(セックスレス)と純愛のドラマ〕:無名の画家ジャン(ダニエル・ジェラン)は、モデルのジョゼフィーヌ(シモーヌ・シモン)に一目惚れし、結婚する。そしてジョゼフィーヌをモデルにして完成した絵で、ジャンは一躍売れっ子になるが、やがて彼はジョゼフィーヌに飽きがきて、彼女をうとましく思いはじめる。そんななか、ジャンの友人から彼が他の女と再婚する、と聞いたジョゼフィーヌは傷心のあまり窓から身を投げるが……。「幸福に喜びはない」(!)というジャン・セルヴェのナレーションも胸を刺す、ビターな一編である(姿を見せぬナレーターのジャン・セルヴェは、『快楽』の原作者モーパッサンを思わせる人物で、全編を通して語り手をつとめる。セルヴェの低く穏やかだが通りの良い声も、じつに快いが、彼のナレーションが人物の顔の芝居による心理描写を大胆に省略し、物語を効率よくスピーディーに進展させる役割を担っていることに注意しよう)。

画面に引き込む眩惑的な移動撮影

 いずれのパートにおいても、人間心理の機微に触れる展開と混然一体となった、オフュルスの作家的刻印たる、流麗な移動撮影にうならされる――と書きつつ、オフュルスの移動撮影は果たして「流麗」なのか、という疑問も浮かぶ。

 たとえば、思いきり人工的に作りこまれた装飾的なセット空間の中を、踊ったり歩いたり走ったり階段を上り下りする人物/役者を追って、横移動し、垂直あるいは斜めに上昇し下降し、前進したり後退したり、あるいは大きな弧を描いたりする、緩急自在の生命体のようなカメラのクレーン移動。その移動撮影は、なるほど異様な視覚的快感をもたらすが、テオ・アンゲロプロス監督や相米慎二監督の長回しショットによるそれに比べて、多くの場合、カメラは意外に短い距離しか動かない。したがってオフュルスの移動撮影には、むしろ快くも目まぐるしいといった印象がある。

 また、その移動撮影の目まぐるしさの印象は、カメラの短い移動距離だけではなく、カメラが追う人物/役者の手前をさえぎる格子窓、ブラインド、カーテン、鏡、鳥かご、観葉植物、間仕切り・衝立(ついたて)などが、しばしば移動画面に映りこむ――動く人物/役者は瞬間ごとに見え隠れする――ゆえに、生まれるものでもある。

 そして、その際に人物/役者の動きを、文字どおり“ブラインド/見えなくするもの”として映る窓は、花々で飾られていたりロココ的なデザインが精妙にあしらわれているので、おのずと窓越しに人物をとらえる画面には、バロック的な装飾性がきわだつ(むろんその場合の画面は、奥行きを生かした縦の構図――ただし瞬間ごとに変化する――となる)。さらにオフュルスの作品では、オーソン・ウェルズの作品でも見られる、フレームが斜めに傾いたバロック的(反古典的)傾斜画面や、吹き抜けになった壮麗な大広間の階段を人物が上り下りする、凝りに凝ったショットなども印象的だ。

・・・ログインして読む
(残り:約2689文字/本文:約4776文字)