鶴田智(つるた・さとし) 朝日新聞社財務本部グループ財務部主査
1984年朝日新聞社入社。地域面編集センター次長、CSR推進部企画委員、「声」欄デスク、校閲センター記者を務める。古典芸能にひかれ、歌舞伎はよく観劇、落語は面白そうだと思えばできるだけ見に行く。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
トーキョー落語かいわい【3】不自由から自由の身へ。ネタを仕込んで精進あるのみ
落語家は、二ツ目という階級になった時が一番うれしい。落語家の皆さんから、そんな声をよく聞きます。しかし、喜びの一方で、落語家として独り立ちし、自活していかなくてはならないシビアな立場の幕開けでもあります。二ツ目になって間もなく、「スケジュール帳が真っ白」なんて話もあるようで。
でも、それは真打ちを目指し、名人を目指して進んでいく若い落語家のほとんどが乗り越えなければいけない道。
そうした状況もにらんでのことか、二ツ目への昇進が視野に入ってきた前座の落語家のなかには、独自にお客の前で「勉強会」を始めた若手もいます。
たとえば、春雨や晴太(32)、春風亭朝七(33)の二人の前座が、落語芸術協会と落語協会という団体の垣根を越えて始めた勉強会がそれ。蒸し暑い8月の午後、告知をほとんどしていない新宿での会に、どれだけのお客が訪れ、二人はどんな噺を語ったのか……。それは後でおはなししましょう。
話を、三遊亭好好に戻します。「お江戸両国亭」は、大相撲でおなじみの両国国技館からほど近くにある演芸場で、毎月1~15日、円楽一門会が公演を開いています。二ツ目に昇進したての三遊亭好好のお披露目も、15日までここで開かれていました。
これまで、はち好という名前でしたが、昇進と同時に好好に改名。つるつるにそり上げたスキンヘッドですが、強面(こわもて)ではなく、どことなく愛嬌(あいきょう)があります。
8月1日、二ツ目として初の高座にのぞんだ好好。黒紋付きの羽織を着て、笑顔で語り始めようとしたのですが、「ちょっと緊張しておりまして……」と言ったところで言葉が出ない。「がんばれ!」という客席の声援に立て直し、なんとか「牛ほめ」を一席語りましたが、ほろ苦いデビューになりました。
後日、先輩で同門の二ツ目落語家が、「前座と違い、噺に独自の枕を入れるようにもなるので、慣れなかったかも」と、筆者にフォローの解説をしてくれました。「枕」とは、落語の本筋に入る前のいわば導入部で、季節の話や時事ネタを話したりします。その後で語る落語の伏線になっている場合もあります。
前座の落語家は、寄席や演芸場で最初に登場し、幕開けの噺を語りますが、独自の枕なしで落語の本題に入るのが通常です。前座修業のうちは、「独自の色を出す」のは基本的にNGなのです。プログラムに名前も載らない前座は、「料金外」なのだと言う落語家もいます。