請求権協定の下でも多様な取り組みがなされてきた
むろん、請求権協定それ自体を問題化することも可能である。
そもそも、同協定は東西冷戦の下に成立した。そしてその代理戦争の場となったかのように、朝鮮半島の分断が固定され、韓国内では独裁政権による民主主義の抑圧が長くつづいた。
だが、冷戦と同時に独裁体制がくずれ、同時に自由な歴史研究や被害当事者の自己表明(例えば「慰安婦」の)が可能となることで、植民地時代のさまざまな事実が明らかとなってきた今、同協定の拘束下でも、多様な取り組み――それは事実上、同条約の部分的な見直しに通じる――は実際可能である。
日本政府はこの間、一貫して論及を避けているが、請求権協定があろうが、在サハリン韓国人の一時帰国・永住帰国支援事業に基金を出したし(日本赤十字社「在サハリン『韓国人』支援事業」)、在韓被爆者支援事業にも(それがいかに不十分なものであったとしても)やはり基金=「在韓被爆者支援特別基金」を出したのではなかったか(中国新聞2012年3月30日付)。
くわえて、日本国籍をもたない在日の元軍人・軍属――在日朝鮮人は、1952年サンフランシスコ平和条約発効後に一方的に国籍をはく奪され、傷病者および戦没者遺族に対する恩給や遺族年金の支給等を規定する、同年施行の「戦傷病者戦没者遺族等援護法」からはずされた――に同援護法を適用して、見舞い金をはらった事実もある(姜誠他『「マンガ嫌韓流」のここがデタラメ――まじめな反論』コモンズ、56頁)。
そうだとすれば、今回の韓国大法院決定に対して、「完全かつ最終的に解決された」とオウムのようにくり返すばかりか、被告企業の任意補償(名目が何であれ)の意向に対し圧力を加えようとする日本政府の姿勢は、厳しく問われなければならない。そうではなく、被害者個人に対する補償に対してさえ、日本政府が名目はどうあれ一定の基金をつくることは不可能ではないはずだ。
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