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ビートルズからGSへ――ジャニーズの好敵手登場

太田省一 社会学者

ジャニー喜多川さんが創業したジャニーズ事務所。ビルには会社の英語名が掲げられている=10日午前9時58分、東京都港区拡大ジャニー喜多川さんが創業、多くのアイドルを輩出したジャニーズ事務所=東京都港区

はじめに

 今回から始まるこの連載では、日本の男性アイドルの歴史を改めてたどり直してみたい。

 それはひとつには、これまで女性アイドルの歴史に比べ、男性アイドルの歴史について書かれたものが少なかったように思えるからである。この連載を通じて、そうした偏りが少しでもなくなればということがまずある。

 そしてもうひとつには、最近のジャニーズに対する注目度の高まりがある。

 これまでもジャニーズという存在はなにかにつけて話題の的ではあった。しかし、ジャニーズ事務所創設者であるジャニー喜多川の死去によって、これまでとは違う注目のされかたをしている。考えてみれば、テレビなどで語られる「ジャニーさん」エピソードを通じて慣れ親しまれていたにしても、終始裏方として人生を全うしたひとりの人物の死がこれほど注目されたことは日本の芸能史上いままでなかったのではなかろうか。

 また他方では、ジャニーズ事務所が事務所から独立したSMAPの元メンバー3人をテレビに出演させないよう圧力をかけていた疑いがあるとして公正取引委員会がジャニーズ事務所に注意していたことが報じられ、波紋を広げている。

 こうしたなか、ジャニーズに対してより客観的な見方をするためにも、男性アイドルのトータルな歴史を知ることは有益だろう。実際、いまの状況だけを見ればあたかも「男性アイドル=ジャニーズ」のように思いがちだが、最初からそうだったわけではない。ではいつから、どうしてそのようになったのか?

 初回となる今回は、まず1960年代の状況から話を始めたい。そのころ、現在にも通じる男性アイドルにおける「不良」と「王子様」という二大路線がかたちを取り始めたと考えられるからである。前者の代表がGS(グループサウンズ)で後者の代表がジャニーズ。この後次回以降も含めて見ていくように、実は両者には(特にジャニーズにとっては)浅からぬ因縁、好敵手同士としての関係があった。


筆者

太田省一

太田省一(おおた・しょういち) 社会学者

1960年、富山県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなどメディア、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論――南沙織から初音ミク、AKB48まで』(いずれも筑摩書房)、『社会は笑う・増補版――ボケとツッコミの人間関係』、『中居正広という生き方』(いずれも青弓社)、『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント 』(光文社新書)、『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』(双葉社)など。最新刊に『ニッポン男性アイドル史――一九六〇-二〇一〇年代』(近刊、青弓社)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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