韓国になら、何を言ってもいいかのような風潮
日本の出版状況は長期低落傾向が止まらず、中でも雑誌の落ち込みは目を覆わんばかりだ。そんな中、各週刊誌も生き残りをかけて様々な暗中模索が続いている。「週刊文春」のいわゆる「文春砲」がたびたび話題になるものの、どの週刊誌も苦戦しているのだ。
戦後の出版社系の週刊誌は、1956年に新潮社から「週刊新潮」が創刊されてからはじまる。その後、1958年に集英社から「週刊明星」が、1959年には、テレビの急速な普及に合わせて、文芸春秋社から「週刊文春」が、講談社から「週刊現代」が、平凡出版(現マガジンハウス)から「週刊平凡」が創刊されるなど週刊誌ブームが起こる。出版社系の週刊誌は、新聞社系のようなニュースソースが限られるため、スキャンダリズムや新聞では書けないようなきわどい政権批判や裏情報を得意として、記者もトップ屋などと呼ばれていた時期があった。
小学館の週刊誌創刊は1963年の「女性セブン」が最初で、「週刊ポスト」の創刊は1969年と、他社に比べるとかなり遅い。その際、講談社から「週刊現代」の元編集長をスカウトして編集長に据え、ライバル会社からの編集長引き抜きとして、その当時かなり話題になった。それに合わせて、フリーの記者も「週刊現代」から「週刊ポスト」にたくさん移動した。このようにして創刊した、他社に比べて後発の週刊誌だったが、1971年には、プロ野球の「黒い霧」と芸能界の「衝撃の告白」スクープなどにより、発行部数が全週刊誌中のトップになり、以後20年間はトップを守り続けたという実績がある。
同日発売でライバルの「週刊現代」とは、その後も抜きつ抜かれつの競争を続けてきたが、最近では同誌に先行され
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