2019年09月09日
開催から今年50年を迎え、いまなお伝説のロック・フェスティバルといわれるウッドストック。周年記念コンサートが過去4回行なわれ、ドキュメンタリー映画のリバイバル上映も繰り返されている。しかし、なぜそれほどまで語り継がれるのだろう? たとえばそれがノスタルジーからだとしても、半世紀にわたり続いている状況じたいが驚くべきことではないか?
今夏アナウンスされていたウッドストック50周年記念フェスは資金面の問題により中止となったが、未発表音源を多数収録したスペシャルCD10枚組ボックスの発売や、1969年をキーワードとする特集がラジオ番組で組まれるなど、話題は尽きない。
わたしはムック『ウッドストック1969 ロックフェスの始まり、熱狂の終わり、50年目の真実』(河出書房新社)に、編集者のひとりとしてかかわったが、はじまりには冒頭で述べたような疑問があった。本書にインタビューで登場してくれたミュージシャンの曽我部恵一氏同様、ポップ・ミュージックの教養として映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』にふれつつも、「ラブ&ピース」というスローガンや、ヒッピー・カルチャーにリアリティを持つことがなかったのだった。曽我部氏の言葉を借りるなら、「ウッドストック以前/以後を語る言葉に、『六〇年代の幻想が崩れた』というような決まり文句があるじゃないですか。そもそも、その幻想って一体何?」。
ウッドストックの概要をあらためて記しておこう。1969年8月15日から17日まで3日間にわたり、ニューヨーク郊外のベセルで開催されたロック・フェスティバル。最終告知のポスターには「WOODSTOCK MUSIC & ART FAIR presents AN AQUERIAN EXPOSITION in WHITE LAKE,NY」「3 DAYS of PEACE & MUSIC」と記され、出演予定のミュージシャン28組の名が掲載されている。
実際ステージに立ったのは、ジョーン・バエズ、アーロ・ガスリー、サンタナ、グレイトフル・デッド、ジャニス・ジョプリン、スライ&ザ・ファミリーストーン、ザ・フー、ザ・バンド、CS & N、ジミ・ヘンドリックスなど総勢32組。集った観客数は40〜50万人といわれるが、渋滞で会場内にたどり着けなかった人びとを含めれば、さらに多くの人びとが参集しただろうといわれている。
直前の会場変更、運営のまずさ、悪天候、ドラッグ、トイレやゴミの問題……ウッドストックは開催直後に大きな批判を受けるが、開催からおよそ半年後、マイケル・ウォドレー監督によってドキュメンタリー映画化されるや、伝説のフェスへと変貌する。当時中学生だったという音楽評論家の萩原健太氏は、当初は「日本の音楽雑誌に翻訳掲載されたレポート記事にしても、明らかに否定的な姿勢を貫いていた」という。だが、この映画によってウッドストックのイメージが塗り替えられ、同時に真空パックされたものがあったと、『ウッドストック1969』収録の論考で述べた。
公民権運動やベトナム戦争の泥沼化を背景に、単なる娯楽ではなく、知的な「文化」であり「芸術」だと主張されるようになったロックは「実に幅広く雑多な音楽たちを包括する雄大かつ乱暴なジャンル名であり、コンセプトだった」と萩原氏はいう。しかし、ポップ・ミュージックの細分化とともに、「そうした感触のピークを体現する一大イベントだった」(萩原氏)ウッドストックは、途中フリーコンサート化して事実上興行的には失敗し、その思想性も次第に脱色されていく。
アメリカにおけるウッドストック後のロック・フェスティバルの変遷に、ビッグ・ビジネス化し、知的な「文化」「芸術」から娯楽へ転じていくロックと、精神性の表現としての合間をまさに揺れ動く「聴衆のニーズ」がみてとれる。
たとえば、1997〜99年にわたり開催されたリリス・フェア。五十嵐正氏の論考で、このフェスの存在を寡聞にして初めて知ったのだが、女性アーティストだけを主役に、数多くの女性スタッフたちによって実施されたのだという。ライブ盤の内容説明には、「サラ・マクラクランが提唱した“女性による、女性のための”コンサート・ツアーから20組あまりを収録」とある。いわば、フェミニズム的なムーブメントでもあった。
だが同時期、会場内でレイプや暴力事件が勃発し、
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