有澤知世(ありさわ・ともよ) 神戸大学人文学研究科助教
日本文学研究者。山東京伝の営為を手掛りに近世文学を研究。同志社大学、大阪大学大学院、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2017年1から21年まで国文学研究資料館特任助教。「古典インタプリタ」として文学研究と社会との架け橋になる活動をした。博士(文学)。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
キーワードは「広がり」
私がなぜ、千年以上の時を経てきた本や絵画など「古典籍」の研究と現代を結ぶ「古典インタプリタ」という職に就こうと考えたのか――。振り返ると、学生時代に「仲居」として働いていた時の見聞が、大きなきっかけだったように思う。
京都にある大学で国文学を専攻していた私は、5年ほど、老舗の料理旅館で仲居のアルバイトをしていた。古いものが好きで、歴史ある建物で年季の入った調度やしつらいに囲まれて働きたいと思ったのだった。
ある時、新しいメニューを考えていた板長がつぶやくのを聞いた。
「この料理の名前は『アツモリ』や」
それは、漬け焼きと塩焼きの魚を一つのお皿に盛りつけた料理だったように覚えている。
アツモリ? その名前が気になった。調べてみて「敦盛(あつもり)」ではないかと思い当たった。日本料理では、魚を照り焼きと塩焼きといったように、紅白に焼き分けたものを「源平」と呼んでいる。平家は赤い旗、源氏は白い旗のもとで戦った源平合戦が、その名の由来だ。板長はそれをさらにひねって、新作料理に、平家の武将、平敦盛の名を付けたのではないか。
平敦盛は清盛の甥で、源平合戦の一ノ谷の戦いで、熊谷直実(くまがいなおざね)に討たれた。わずか16歳とも、17歳とも伝えられる。
笛の名手だったとされ、その風流な在り方や、若くして死んだ悲劇の武将というイメージから、古典の世界で大変な人気者である。『平家物語』の中の「敦盛最期」は、教科書などでも取り上げられている。熊谷直実との間の物語は能や歌舞伎になり、現代も繰り返し演じられている。
料理にその名が付けられただけで、「敦盛」を題材とする絵画や物語、演劇など、様々な世界が立ち上がってくる。古典はこんな風に現代に生きているのだと感じた。
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