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ドイツを夢中にさせたドラマ、日本に上陸

1920年代の光と影が現代を映す『バビロン・ベルリン』

ウルリケ・クラウトハイム ゲーテ・インスティトゥート東京

本当の「国際都市ベルリン」への憧れ

バビロン・ベルリン拡大ドラマ『バビロン・ベルリン』から=©X Filme Creative Pool Entertainment GmbH / Degeto Film GmbH / Beta Film GmbH / Sky Deutschland GmbH 2017 Fotograf: Frédéric Batier

 私(1973年生まれ)の世代のドイツ人にとって、ベルリンはまだ東西に分かれた町だった。『バビロン・ベルリン』の舞台は1920年代、つまりナチスが政権を掌握する前、そして第2次大戦後、東西に分断される前のベルリンである。

 この時期のベルリンは、その歴史のなかでもおそらく一番活気にあふれていた。

 多くの人が町に流入し、人口は最大に達する(29年当時のベルリンの人口は約430万人。現在は約360万人である)。ヨーロッパではもちろん、世界的なメトロポール(大都市)となったベルリンは、その牽引力で様々な芸術家や文化人をひきつけた。性的指向の面でも様々な人たちがいて、試行錯誤しながら、新しい共生の形を探していた。

 しかしナチスの台頭、第2次大戦、そして東西の分断により、ベルリンはこの世界的大都市としての地位を失うことになる。その後、89年に壁が崩壊するまで、ドイツには、かつてのベルリンと比較できるような国際的な大都市は存在しなかった。

 だからこそドイツ人は、『バビロン・ベルリン』に描かれた、生き生きとした町の様子、本物の「国際都市」に、あこがれの気持ちを抱く。そしてそこに、壁が崩壊し、分断を克服した後のベルリンの「理想形」を見る。

 それは、常に新しいものを追い求める国際都市、世界の人々に開かれた文化の繁栄する町、様々なライフスタイルの実験が行われる町というビジョンだ。もしかしたら、一部はすでに現実になっているかもしれないが――。

バビロン・ベルリン拡大ドラマ『バビロン・ベルリン』から=©X Filme Creative Pool Entertainment GmbH / Degeto Film GmbH / Beta Film GmbH / Sky Deutschland GmbH 2017 Fotograf: Frédéric Batier

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筆者

ウルリケ・クラウトハイム

ウルリケ・クラウトハイム(Ulrike Krautheim) ゲーテ・インスティトゥート東京

1973年生まれ。ゲーテ・インスティトゥート/東京ドイツ文化センター 文化部企画コーディネーター

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです