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<小悪党>として振る舞う「江湖」の女

<「第二部」 2006年 ダム完成によってその一部が水没間近の長江(揚子江)・三峡地域の奉節(フォンジェ)>
 出所したチャオはビンを探して、三峡ダム建設で失われる長江流域――約130万人が移住を余儀なくされ、地域社会は無残に消失することになる――へと客船で向かう(力作『長江哀歌(エレジー)』(2006)を引き継ぐような、灰緑色に濁った悠揚たる長江の流れ、その大河に浮かぶ船や桟橋を行き交う人々、はるかな対岸のさらに彼方にそびえる黒ずんだ山々、その上空にひろがる瑠璃(るり)色の空や青白い雲の筋を映す広大な風景ショットなど、いわば殺風景すれすれの鈍い抒情を醸す<ジャ・ジャンクー的情景>が、絶句するほど素晴らしい)。

(c)2018 Xstream Pictures (Beijing) - MK Productions - ARTE France All rights reserved拡大(c)2018 Xstream Pictures (Beijing) - MK Productions - ARTE France All rights reserved

 ……やがてチャオは、ビンには新しい恋人がいることを知る。しかもそれは、知人の実業家ジャードン(ディアオ・イーナン)の妹、ジャーイエン(キャスパー・リャン)だったが、彼女は「人の感情は変わって当然」と平然と言い放ち、チャオを動揺させる。それでもチャオは、「ビンと直接話す。私と彼の問題だから」と返し、その場を去る。チャオの気丈さ、ビンへの強い想いを、そして人の世の無常/無情を、不意打ちのように示す名シーンだが、この場面のメランコリック(沈鬱)なトーンは、直後の切れ目のないワンシーン・ワンカットの場面で、チャオが再会したビンと交わす不活発な会話によって、さらに増幅される(チャオは、カネも地位も失い鬱屈したビンに、大同に帰ろうと言うが、彼は帰れないと答え、結局、二人は再び別れる)。

(c)2018 Xstream Pictures (Beijing) - MK Productions - ARTE France All rights reserved拡大(c)2018 Xstream Pictures (Beijing) - MK Productions - ARTE France All rights reserved

 ところで、活劇感あふれる「第一部」とは対照的な「第二部」は、とはいえメランコリック一辺倒ではなく、奇妙な活気さえ帯びている。それは、「江湖」の義侠心を胸に秘めつつも経済優先の世に順応すべく、次第にタフになってゆくチャオの言動によるものだが、もともと肝の据わった「江湖」の女である彼女は、この2006年のパートでは、さらにしたたかな生活術、いわば小悪(しょうあく)を身につけている(まあそれも「渡世/処世」の一手段だろうが)。

 船上でキリスト教徒を装った女(ディン・ジャーリー)に財布と身分証を盗まれたチャオは、

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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