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 今回は、前稿では触れえなかった『帰れない二人』の演出上でのポイントを、断章形式で記してみたい。

*『帰れない二人』では、バス、車、列車、客船、バイク、車椅子といった乗り物が、チャオ(チャオ・タオ)の<漂流>と相即して重要な役割を担うが、とりわけ注目すべきは、「第一部」から「第二部」への、そして「第二部」から「第三部」への場面転換において、それぞれ移動する二つの乗り物の映像がモンタージュ(編集)されることだ。

 すなわち、①「第一部」(2001)→「第二部」(2006)の転換点では、チャオを乗せた護送車→長江行きの客船、②「第二部」→「第三部」(2017)の転換点では、新疆(シンジャン)行きの列車→大同方面に向かう高速鉄道、というぐあいに、である。そして、①では5年という時間が、②では10年余りの時間(!)が、テロップなしのジャンプカットで省略されるわけだが、こうしたパート間の長大な時間省略を、唐突な飛躍ではなく、出来るかぎりスムーズな印象のもとに行なうべく、ジャ・ジャンクーは走行する乗り物のショット同士をモンタージュする。

(c)2018 Xstream Pictures (Beijing) - MK Productions - ARTE France All rights reserved拡大『帰れない二人』 (c)2018 Xstream Pictures (Beijing) - MK Productions - ARTE France All rights reserved

 モンタージュとはむろん、もとより現実ではありえない、映画ならではの編集(切断と持続が同時になされる手法)という、時間・空間を<瞬間移動/テレポート>させるマジックであるが、『帰れない二人』のジャ・ジャンクーは、それを移動する乗り物の映像同士の接続というかたちで、極めて効果的に使うのだ。なお本作における時間省略、および出来事の省略、またそれらと対照的な――チャオとビン(リャオ・ファン)の再会シーンの――カットなしのカメラの長回し、さらにチャオがビンに執着しつづける謎については、映画評論家・伊藤洋司の作品評「チャオは一体何に囚われているのか。ジャ・ジャンクー『帰れない二人』」(週刊読書人ウェブ、2019・8・18)が、鋭く、興味深く論じている。

(c)2018 Xstream Pictures (Beijing) - MK Productions - ARTE France All rights reserved拡大(c)2018 Xstream Pictures (Beijing) - MK Productions - ARTE France All rights reserved

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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