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阿部サダヲ演じる『いだてん』田畑、その実像は

大河ドラマが描かなかった新聞記者の顔

前田浩次 朝日新聞 社史編修センター長

大正から昭和への代替わりを取材

 政治部記者となった田畑政治は、まもなく昭和への代替わりを迎える。大正天皇が重病となり、田畑たちは宮内省に詰めた。容体が刻々と発表される。その都度、というか発表の途中でも、メモを書き取った記者は別の記者と入れ替わるや、宮内省の廊下や階段を全力疾走して、電話のある部屋へ。そこから社に電話をして容体を告げたら、また発表の部屋にとってかえす。そんな日々だった。

『いだてん』田畑拡大大正天皇の容体を伝える電話に緊張する東京朝日新聞の編輯局=1926年12月

 1928年(昭和3)2月20日、普通選挙制度となって最初の総選挙が行われた。田畑は選挙戦終盤の取材で、18日に静岡県に出張し19日に帰社した。翌29年(昭和4)11月には、前月に立憲政友会総裁に選ばれた犬養毅の東北遊説に同行取材している。

『いだてん』田畑拡大田畑政治が取材した朝日新聞の記事。東北遊説中の犬養毅の車中談(部分)=1929年11月

 田畑のこうした記者の仕事は、一部ではあるが、記録に残っている。しかし、水泳については、朝日新聞社員としての記録が見つからない。

 1932年(昭和7)にはロサンゼルス五輪に水泳チームの総監督として参加し、男子6種目中5種目に金メダルをもたらしたのだが、長期にわたったというのに、ロスに出張した、あるいはその間に休暇を取った・休職した、という記録が無い。

 ロス五輪を取材し、写真や映像を手配するための特派チームは、新聞紙面や社内報で紹介されている。田畑の名前はそこには無い。ところが突然、社内報にこうした記事が載る。

 ロス五輪100m自由形で優勝した宮崎選手への村山龍平社長からの祝電に対して「水上聯盟(れんめい)代表者 田畑政治」から謝電があった。

 1933年(昭和8)9月28日の東京朝日には「日本水上競技聯盟田畑政治寄」とした投書が載り、35年(昭和10)6月15日の東京朝日スポーツ面には「恐米意識一掃の好記録期待さる 三大学水上戦予想」とした大きな署名記事を書いているが、これも朝日記者としての田畑政治という扱いではない。

『いだてん』田畑拡大田畑政治の署名で朝日新聞スポーツ面に書いた記事(部分)=1935年6月

 まるで、朝日新聞政治部記者の田畑政治と、同姓同名の水泳指導者と、2人の人物がいたかのような記録・紙面だ。

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筆者

前田浩次

前田浩次(まえだ・こうじ) 朝日新聞 社史編修センター長

熊本県生まれ。1980年入社。クラシック音楽や論壇の担当記者、芸能紙面のデスクを経て、文化事業部門で音楽・舞台の企画にたずさわり、再び記者として文化部門で読書面担当とテレビ・ラジオ面の編集長役を務めたあと、2012年8月から現職。

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