高山明(たかやま・あきら) 演出家
1969年生まれ。ドイツでの演劇活動の後、帰国して、2002年、演劇ユニットPort B(ポルト・ビー)を結成。現実の都市を使ったインスタレーション、ツアーパフォーマンスなどを世界各地で展開している。美術、観光、文学、建築などともコラボレーションしながら、演劇的発想や考え方を社会と結びつけ、新しい可能性を切り開く活動に取り組む。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
国家による異論の排除、その先にあるのは
愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」に対する文化庁からの補助金の全額(約7800万円)を交付しないと、萩生田光一文部科学相が9月26日発表した。いったん採択が決まった補助金を「不交付」とする異例の事態だ。
芸術祭の一部である「表現の不自由展・その後」が、電話による激しい攻撃にさらされて展示中止となったことを受けての対応で、文化庁は次のような内容の文書を発表した。
● 愛知県は会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたのに、それを申告せずに、採択され、補助金交付を申請した。
● その後の審査段階でも、文化庁から問合せを受けるまでそれらの事実を申告しなかった。
● よって、文化庁は、①実現可能な内容になっているか、②事業の継続が見込まれるか、の2点を適正に審査できなかった。これは補助事業の申請手続において不適当な行為だと評価した。
● 全事業は一体のものなので、(展示中止になった企画の分だけでなく)全額を不採択とする。
文科省・文化庁は「愛知県の手続きの不備」を理由にしているが、この決定に対し、芸術関係者や多くの市民が「実質は表現内容への圧力」「萎縮を生む」と反発や怒りの声を上げている。補助金を止めることで活動しにくいようにし、表現を押さえ込むのは一種の「国家による検閲」だと受け止めて、撤回を求める運動も広がっている。
この問題について、日本とドイツを行き来しながら、演劇と社会とを結ぶ創作活動をしている演出家の高山明さんに話を聞いた。高山さんは、「あいちトリエンナーレ」のパフォーミングアーツ部門の参加者のひとり。新たなプロジェクトを打ち出しながら、あいちトリエンナーレ実行委員会などに対して、現在閉鎖されている全ての展示の再開を働きかけ、「表現の自由」を世界に訴える国内外のアーティストたちの運動「ReFreedom_Aichi」に加わっている。 (構成 山口宏子)
補助金不交付と聞いて、絶句しました。
ありえないことが起きている。ここまで来たのか、日本は――それが第一印象です。何としてでも撤回させなくてはと、「文化庁は文化を殺すな」の署名運動を始めました。
僕は1993年にドイツに留学し、そのまま、向こうの劇場で活動を始めました。98年に帰国しましたが、2011年以降は再び、ドイツと行き来しながら創作をしています。
日本とドイツ、両方の現場に身を置く者として、「公共の場における文化」をどう考えるか。両国の間にある大きな違いを、今回のことで改めて、実感しています。
日本では、税金を使う文化事業では、「多くの人が感動する」「みんなに喜ばれる」といった「マジョリティー(多数派)」の感情に寄り添った内容が歓迎されます。逆に、少しでも「不快だ」といった声が上がると、それが問題のある表現であるかのように見られてしまいます。
その延長に、多数派を代表している形の時の政権が認める文化、好む表現は公的助成が受けやすく、逆に、政権にとって気に入らない「少数派」の文化は排除されてもいい、という流れが出来ます。
でも、それは税金の使い方として正しいでしょうか。税金を納めている人の中には、政権と異なる意見の人もたくさんいるのですから。