2019年09月30日
『なつぞら』がはじまった時、「もしかしてこれは悪くないのかもしれない」と思ってしまったのだ。
というのも、その前の『まんぷく』。これがひさびさに、私の感動のツボを突いてきた朝ドラで、はじまって2ヶ月ぐらいはずっと、ふつうに明るい場面でも何かジーンとしては涙をこぼしたりしていた。これが終わる時は、大団円でみんなが幸せな笑顔であふれる中、いろいろなことを思い出してまたダーダー泣いてしまうにちがいない。そしてまんぷくロスになるのがイヤだから、いっそもう見ないことにしてしまおうか、とか思ってたぐらいなのだ。
しかし。見ないことにしないでも、見ないようになってしまった。なんか、思ってたのとは別な方向に行ってしまって。
何が「別の方向」なのかを説明すると、まんぷくの主人公夫婦は、ふたりの愛情と、まわりの人たちのあたたかさによって、大きな仕事(インスタントラーメンとカップラーメンの開発)を成し遂げる。でも人生というものは人の数だけあり、そして生涯には限りがある。まんぷく夫婦の人生をつくりあげるのは、まんぷく夫婦のまわりの人びとのもっとささやかな人生が静かな雪のように降り積もってできあがったものだ。
その、雪の一片を手のひらに受けると、キラキラと雪の結晶が見えてあっという間に溶ける、そんなふうに、萬平さんと福ちゃんのまわりの「良い人たち」が浮かんでは消える、あたたかく、じーんとするようなドラマが紡がれるのかと。……しかし、『まんぷく』はいつのまにか(萬平さんがダネイホン製作しはじめたあたりからか)、ただガチャガチャと「ちょっと困った萬平さん」「いつもすっとんきょうに元気な福ちゃん」「明るく楽しいまわりの人たち」が不死身のロボットのように泣いたり笑ったりしながら終わっちゃった。なんの風情もない。
別に、すべてのドラマに風情なんか求めないけどさ、『まんぷく』は風情たっぷりに始まったんだもん。登場人物の設定とか、すごく「いい感じに文学的」だったもんで、それならそういう話かと思うじゃないですか。なのにどんどん風情が失われて、登場人物がすべった転んだばっかりになったから私は落胆したわけですよ!
それで『なつぞら』。朝ドラ100作目ということでNHKも気合いが入ったというふれ込み。キャストも豪華。いや私は広瀬すずが豪華とは思わないけど草刈正雄は豪華だ。そして北海道の牧場の、戦後すぐのボロボロな感じを再現してるのがとても豪華。
『まんぷく』みたいに、うまいものがどうとかこうとか言わないのに、出てくる食べ物がことごとくうまそうなのも豪華だった。アイスクリームとかバターとか。朝からとろけそう。
それなのに、風情というか文学性というか、そういうものをほぼ感じさせないドラマなのが1周回って新しかった。だって最近のNHKのドラマはマニアックな“風情”を見せるのが売りみたいなとこがあると思っている。『いだてん』なんかそれですよ。
そういう風情を排して、直球でテレビドラマをつくる!というやる気のようなものを感じたのだ、『なつぞら』には。朝ドラ100作目で力が入るというのは、そういうことなんだと思っていた。子どもの頃、毎週日曜日にワクワクして大河ドラマを見たような、ああいう正攻法の連続ドラマの良さ、みたいなものがありそうだ、と……。
ありませんでした。途中でなんかガラッと変わってしまった。
『まんぷく』も途中で変わったけど
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