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「高畑勲展」―歴史的新資料と思考を触発する展示

高次の表現に挑み続けた50余年の足跡

叶精二 映像研究家、亜細亜大学・大正大学・女子美術大学・東京造形大学・東京工学院講師

 東京国立近代美術館で「高畑勲展」が開催中だ。昨年4月に死去した高畑勲監督の業績を振り返る回顧展である。

東京国立近代美術館で「高畑勲展」「高畑勲展」を開催している東京国立近代美術館=撮影・筆者
 場内は現在から過去へと遡るタイムトンネルさながらの作品年表を入口に、時系列に沿って各作品の膨大な資料がずらりと並ぶ。

 森康二・大塚康生・小田部羊一・宮崎駿・近藤喜文・百瀬義行・田辺修ら名アニメーターたちの直筆原画・設定・レイアウト、井岡雅宏・椋尾篁(たかむら)・山本二三・男鹿和雄らによる美しく生活感漂う背景美術、作品世界を再現した『アルプスの少女ハイジ』(1974年)のジオラマ、壁面の上下にもキャラクターたちが飾られ観覧者を出迎える。各コーナーで創意工夫が凝らされ、見どころは尽きない。50年余の歴史をほぼ一挙に体感出来る構成と会場設営はもっぱら展示スタッフの努力の結晶である。

『アルプスの少女ハイジ』(1974年)のジオラマ『アルプスの少女ハイジ』(1974年)のジオラマ
『アルプスの少女ハイジ』(1974年)のジオラマ『アルプスの少女ハイジ』(1974年)のジオラマ

 筆者は「高畑勲展」に展示アドバイザーと図録執筆担当として参加した。昨年7月、本展主催の方々から企画についての説明を受けた。高畑監督の生前から企画はスタートしていたものの、高畑監督が闘病生活を送るようになったことで、協議が中断し具体的な内容検討までは進んでいなかったとのことだった。再始動にあたり「アニメーションの演出を展示する」という目標を伺ったが、1年弱で形にするには相当の困難が予想された。

 展示の手掛かりとして、高畑監督の自宅に保管されていた18個余の段ボールに詰め込まれた資料がご遺族より提供された。その内容は驚嘆すべきものだった。各作品制作準備段階での調査記録、どう表現すべきかという思考を整理したメモ、台詞の検討案、改稿過程のシナリオ、場面設計のラフスケッチ等が記された膨大なノート・図表などで、数カ月費やしても消化し切れない量であった。

 中には実現しなかった作品の準備稿や設計、140枚に及ぶ未発表の試稿まであった。言わば半世紀分の未発表文書と収集資料の山である。いずれも日本のアニメーションの歴史認識を変える貴重なものばかりであり、その整理と調査解析の報告、それを元にした展示のアドバイスと図録の作品解説執筆が自分の主な仕事であった。

 東京会場は終了間近になってしまったが、展示と図録に関与したスタッフの一人として改めて本展の魅力を記したい。開催は残り5日。本展に一人でも多くの方が足を運ぶ契機となれば幸いである。

高畑勲さん(1935―2018)高畑勲さん(1935―2018)

「高畑勲展――日本のアニメーションに遺したもの」
会場:東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー
会期:2019年7月2日(火)~10月6日(日)

岡山巡回展

会場:岡山県立美術館
会期:2020年4月10日(金)~5月24日(日)
公式サイト

「可愛らしい文字の洪水」に浸かる

 「映画の取材者たちは、監督に作品についての疑問をぶつけ、観客が納得出来る端的な回答を得たいと思っている。それが記事になったとして、読者自らが考える機会を奪ってしまうことになるのではないか」

 これは、筆者が10年前に高畑勲監督から伺った言葉(要旨)である。準備作業中、高畑監督のこの言葉がずっと頭から離れなかった。高畑勲監督は、常に多義的多層的な思考をされる方なので、短絡的感性的印象による閉じた結論を好まなかった。展示についても、高畑監督と作品について固定化されたイメージを引き剥がし、考えることを触発する内容でありたいと願ってきた。

 アニメーション作品は集団創作の集積である。セル画1枚・背景画1枚といえども複数の工程を経ており、一個人の関わった範囲の特定は困難だ。高畑監督の場合、演出の起点となる絵コンテ執筆も共同作業であり、個人作業ではない。高畑監督は「絵を描かない」と言われているが、実際には思索過程でメモと共にラフスケッチを量産している。それを元にアニメーターと綿密な討議を繰り返し、絵コンテの左半分を埋める画が描かれる。

 一方で右半分を占める箱書きのセリフやカメラワークなど様々な指示は高畑監督が記す。つまり、文字は高畑監督自身の仕事として見極めが可能だ。資料には宮崎駿や小田部羊一ら他のスタッフが記したメモも多々混在していたが、幸い高畑監督の筆跡は数十年前の速記でも判別出来た。大量の絵が展示されることを大前提として、高畑監督自身の原稿やメモに記された膨大な文字を物量として展示出来れば、結果として監督の思考過程・演出法の片鱗が浮かび上がるのではないかと考えた。「言うは易し」だが、展示スタッフの尽力によってガラスケース・壁面映写・パネル・的確なキャプションなど多角的な工夫を凝らした見応えのある構成となった。

 「高畑勲展」を訪れた多くの観覧者から「予想以上に時間がかかる」「半日いてもまわり切れない」といった感想を聞く機会が多い。同時に「監督の文字が読みやすい」「可愛らしい」という感想もよく聞いた。ここまで文字の展示が多くて大丈夫なのだろうかという不安も抱いたが、杞憂であった。「文字の洪水」に浸ることで、一つの課題に様々な観点からアプローチした巨人の思考の痕跡が垣間見える。「読む」「観る」を等価とする展示によって、観覧者それぞれが思いを巡らせ、つい誰かと討議したくなるような展示となっている。

「アルプスの少女ハイジ」の山小屋内部を再現したコーナー『アルプスの少女ハイジ』(1974年)の山小屋内部を再現したコーナーで

スタジオジブリ以前の高畑監督を知る

 高畑監督は「スタジオジブリの」という肩書きで語られる機会が多い。しかし、高畑監督の50年以上にわたるキャリア(1959~2013年)の中でスタジオジブリで作品を監督したのは、後期(1987~2013年)である。後期には代表作『火垂るの墓』(1988年)から遺作『かぐや姫の物語』(2013年)まで網羅されているが、この肩書きだけで高畑監督を括ることは不可能である。本展は時系列に沿って、高畑監督の試行錯誤と技術開発の過程とその結果を展示しており、前期にも魅力的な展示が多々ある。まずはスタートラインを見極めて欲しい。

 そもそも「高畑勲はいつどのようにして高畑勲になったのか」は大きな謎であった。

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