メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

東大教員有志が「あいち」不交付に抗議したわけ

学問の自由への懸念、国の信用にもかかわる

加治屋健司 東京大学大学院准教授

文化庁の補助金不交付は研究者にも衝撃

「あいち」東大声明展示が再開した企画展「表現の不自由展・その後」を訪れた津田大介芸術監督=2019年10月11日午後

 10月9日午後、東京大学教員有志167名の連名で、「文化庁によるあいちトリエンナーレへの補助金の不交付決定に対する東京大学教員有志の声明」を、萩生田光一文部科学大臣と宮田亮平文化庁長官宛てに送付した。

 声明は、文化庁が、「あいちトリエンナーレ」の一部である「表現の不自由展・その後」が一時公開できなくなったことを理由に補助金を全額不交付とする決定をしたことに強く抗議し、不交付決定の取り消しを要望する内容である。

 声明を出すことになった背景には、今年5月に東大に発足した芸術創造連携研究機構(以下、芸術機構)の存在がある。

 芸術機構は、七つの部局(学部・研究科など)が連携する横断的な組織で、多様な分野の研究者が連携して、芸術家との協働・連携も行いながら、芸術創造に関する分野融合型の研究を推進している。芸術機構には、美術史や美学、文化政策が専門の文系の研究者もいれば、芸術を科学的に解析する理系の研究者、さらには、科学の最前線で研究しながらそれを活かした芸術活動に取り組む者もいる。東大の全ての芸術関連研究者が所属しているわけではないが、文系理系を問わず、何らかのかたちで芸術に関わる研究者が集まっている。

 芸術関連の研究を行う者にとって、今回の文化庁による補助金の全額不交付の決定は衝撃的であった。私たち研究者は、補助金や助成金などの競争的資金を獲得して研究活動を行っており、文化庁の補助金事業に採択されて取り組んだ経験がある者もいる。今回の決定は、手続きの不備という体裁をとりながら、表現の自由によって保障されている芸術活動に干渉し、有識者による審査の公正性という補助金事業の前提を大きく損なうものであると、私には思われた。

「学問の自由」への脅威、文理ともに危機感

「あいち」東大声明展示が再開されたあいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」=2019年10月11日午後2時19分、名古屋市東区の愛知芸術文化センター

 東大教員有志の声明は、以下のような経緯でまとめられた。

 文化庁の補助金不交付の方針が報道された9月26日、芸術機構の池上高志教授から、声を上げないかとの提案があった。同様の意見が複数の研究者から出たため、小林真理教授と私で文面案を作成した。機構内部で話し合い、河合祥一郎機構長の名前で声明を発表する案も出たが、最終的には上記4名が呼びかけ人となり、機構の教員有志24名とともに、ウェブサイトで広く学内教員の賛同者を募り、10月9日正午までに集まった167名の名前を添えて萩生田大臣と宮田長官に声明を送付した。

 今回の不交付決定は、補助金事業が対象であることから、芸術だけではなく、学術一般にも関係する問題であった。そのことが、芸術とは直接関係しない多くの東大教員が賛同した大きな理由ではないかと考えている。

 有識者による審査を経て採択通知を出した事業に関して、行政による恣意的な介入が許されるのならば、憲法によって保障されている学問の自由も、いずれ何らかの形で脅かされるのではないか。今回の決定が前例となって、政府の方針に合わない研究が、有識者の審査結果にかかわらず、補助金交付の対象から外れる可能性も出てくるのではないか。このような懸念を抱いたのは私だけではないだろう。

 声明の賛同者は、4名の呼びかけ人のうち3名が所属する総合文化研究科が最も多かったが、人文社会系研究科、教育学研究科、情報学環の研究者も多く、数理科学研究科や理学系研究科といった純粋科学の研究者からも賛同を得ることができた。名誉教授13名も分野を超えて賛同してくださった。部局ごとに人数の差はあるものの、名誉教授が在職時に所属していた研究科を加えれば、ほぼ全ての学部・研究科から賛同を得たのは、今回の不交付決定が学術研究への干渉に繋がりかねないとの判断があったからではないだろうか。

日本の信用が失墜する事態に

「あいち」東大声明展示が再開されたあいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」=2019年10月11日午後2時19分、名古屋市東区の愛知芸術文化センター

 声明は、主に、不交付決定の手続きの問題とその負の効果に焦点を当てて作成した。

 事業の実施における懸念事項に関して事前の申告や相談がなかったとして補助金を全額不交付とすることは、決定事由との均衡を欠いた著しく不当な決定である。

 あらゆる文化芸術が脅迫やテロ行為の対象となりうる以上、補助金の申請時に全ての出品作品やそれが引き起こす事態を予測して記述することは不可能であり、申請者に求める条件として現実的ではない。

 そして、文化庁の不交付決定は、文化芸術基本法の前文で謳われた「文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重する」という理念に反している。

 文化庁は、「表現の不自由展・その後」が展示中止を余儀なくされたとき、表現の自由に対する脅迫やテロ行為の予告に屈しない姿勢を国内外に示して愛知県を支援するべきであった。だが反対に、補助金を全額不交付として展覧会の継続を困難なものにし、文化芸術活動を行う者の自主性を損ない、展覧会を妨害する脅迫行為に実質的に加担した。こうした不当な行為は、今後、文化芸術活動を行う個人や団体を萎縮させて、文化芸術の振興に悪影響を及ぼすことが懸念される。

 また、文化庁の不交付決定は、文化資源活用推進事業の目的である「国内外への戦略的広報の推進、文化による『国家ブランディング』の強化、『観光インバウンド』の飛躍的・持続的拡充」を実現するどころか、いずれも後退させてしまったと言わざるを得ない。

 つまり、文化庁の不交付決定は、申請者に現実的でない条件を不当に課している点で問題があり、脅迫行為に実質的に加担すると同時に、文化芸術活動を萎縮させている点で負の効果がある。さらに、本決定は、文化庁が本来目指しているものと矛盾し対立している。

 以上のようなことを本声明は指摘して、不交付決定の取り消しを要望したのである。

 現在、文化庁の各種事業にかかわる委員の辞任などが続いている。今回の不交付決定は、海外にも報道されており、文化庁の信用を大きく失墜させている。それだけではない。このような姿勢で文化芸術に取り組む国とみなされ、日本自体も世界的に信用を失いつつあるのではないか。芸術関連の学会をはじめ、国内外の多くの有識者による抗議の声が上がっている。一刻も早い撤回が求められる。

対抗するアーティストらの動きに意義

「あいち」東大声明フォーラムで意見を述べる韓国の彫刻家で「平和の少女像」の作者キム・ウンソンさん=2019年10月5日午後、名古屋市東区
「あいち」東大声明「表現の不自由展・その後」に出展された「平和の少女像」と元慰安婦の写真

 最後に、現代美術史を専門とする研究者として、今回の事態についての考えを述べて本稿を終えたい。

 論座の寄稿で毛利嘉孝氏は、1990年代から現代美術の概念が大きく変化し、社会や政治、経済の問題を扱う美術が注目を集めるようになったと指摘した上で、「表現の不自由展・その後」や「あいちトリエンナーレ」芸術監督の津田大介氏の取組を、そうした流れに棹さすものとして高く評価している。筆者も深く同意する。

  芸術作品は、作者だけによってその意味が決まるものではなく、それを見た鑑賞者が様々な解釈を加えていくことで、豊かな意味を持つようになる。その意味で、戦時性暴力の問題を扱ったキム・ウンソン氏とキム・ソギョン氏の《平和の少女像》、戦前の洋装の昭和天皇の写真を用いて日本の「内なる植民地化」を考察した大浦信行氏の《遠近を抱えて》、さらに、同作品に対して1986年から93年にかけて富山県立近代美術館(現富山県美術館)がとった不当な対応を問題にした大浦氏の《遠近を抱えて Part II》は、今回の事件を通して、現代日本のナショナリズムのかたちをますます浮き彫りにし、それに伴走する現代日本の文化や外交の問題をさらに鮮やかに照射する作品にもなったと言える。

「あいち」東大声明対話のために名古屋市内の商店街にアーティストが開設したスペース「サナトリウム」=2019年8月25日

 また今回、参加作家が主導して、展覧会とは別にアーティスト・ラン・スペース(アーティストが運営する空間)を設置し、展示が中止・停止された作品の展示再開を目指すプロジェクト「ReFreedom_Aichi」に取り組んだ。先日、「あいち宣言」のアーティスト草案も公表された。キュレーターや編集者、研究者の間でも、タウンホール・ミーティングを開催するなど別の動きが始まっている。

 こうした対抗的な流れができたことは、現代日本の文化芸術の状況を良い方向に導くと同時に、世界的な現代美術の状況において重要な活動として広く知られ、その歴史に刻まれることになるだろう。展示再開に尽力した大村秀章愛知県知事やキュレーター・チーム、実行委員会事務局も高く評価されるべきであるし、あり方検証委員会の奮闘努力も強く記憶に残り続けるだろう。

 自分が目撃し経験したことを書き記し、語り継いでいくことが、同時代を生きる歴史家の責務であると考えている。引き続き、不交付決定の取り消しを求めていきたい。