2019年10月15日
前回、「新御三家」のうちのまず2人、野口五郎と西城秀樹について見た。今回は、残る郷ひろみについてふれたうえで、男性アイドル史において「新御三家」が果たした役割について考えてみたい。
西城秀樹が男性アイドルにおける「不良」の継承者であったとすれば、もうひとつの系譜である「王子様」のポジションにいたのが郷ひろみだった。それは、郷ひろみが「王子様」的アイドルの原点であるジャニーズのタレントであったという意味では自然な流れでもあった。
1955年生まれの郷は、ジャニー喜多川が自らスカウトした数少ないタレントのひとりである(郷ひろみ『20才の微熱』レオ出版、49-50頁)。1971年のことだった。その後NHK大河ドラマ『新・平家物語』への出演を経て、1972年に「男の子女の子」でデビュー。早速オリコン週間シングルチャートでベストテン入りとなった。「新御三家」のなかでは最後のデビューだが、人気が出るのはその意味で最も早かった。
そこには、現在にも通じるジャニーズ事務所独特の育成システムの効用もあっただろう。「郷ひろみ」という芸名の由来は、それを物語る。
知られるように、ジャニーズ事務所には「ジャニーズJr.」と呼ばれるデビュー前のタレントが存在する。彼らは、すでにデビューした先輩グループのバックダンサーなどでステージに立つ。それは、単に経験を積ませるというだけでなく、デビューする以前の段階から熱心なファンを生むことにもなる。
すでにそのような仕組みは、ジャニーズ事務所の草創期から存在していた。第2回で取り上げたフォーリーブスは、デビュー前から初代ジャニーズのステージに出演していた。そして同じく郷ひろみもフォーリーブスに同行し、そのステージに登場していた。
そんなある日のこと。デビュー前の郷ひろみは本名の原武裕美としてフォーリーブスのテレビ番組のステージに立った。それは、歌手としての初舞台であった。するとそのとき、会場の女性たちから一斉に「ゴーゴーゴーゴー レッツゴーヒロミ」というコールを「お祝い花火のように浴びせられた」。これに驚きと感激を味わった彼は、この「ゴー」にちなんで芸名を「郷ひろみ」に決める(同書、67-68頁)。
前回西城秀樹の歌の際のファンのコールにふれたが、ここではアイドルという存在がファンによって生み出されるものであることがよりストレートに示されている。ファンは、実在でありながら一種の虚構性を生きるアイドルという独特の存在の誕生に深く関与する。この場合、原武裕美というひとりの少年は、ファンのコールを通過儀礼的に体験することを通じて「郷ひろみ」というアイドルに生まれ変わったのである。
そしてなかでもこうしたファン主導の度合いの高いアイドルは、やはり「王子様」的なものになるだろう。郷ひろみも、最初から「王子様」として完成されていたわけではない。ファンがそのようなものとして発見し応援することによって、彼自身も「王子様」的ポジションを徐々に自覚していくのである。
デビュー曲「男の子女の子」も、そうした郷の「王子様」的ポジションを後押しするようなものだった。当時のレコーディングディレクターであった酒井政利は、郷の「男でもない女でもない中性的な美しさ」に惹かれた(酒井政利『アイドルの素顔――私が育てたスターたち』河出文庫、81頁)。その感覚を表現しようと考えたのが、「男の子女の子」である。
酒井によれば、デビュー当時の郷ひろみは、「幾分ふっくらとした幼さの残る男の子ではあったが、目だけは決して子供のそれではなかった。ひと言で言えば、茫洋とした目、何を考えているのだろうかと思わせるような目……であった。そして無口で、愛想笑いなど一切しない少年であった」(同書、81頁)
その魅力を酒井は“不気味さ”と表現している。それはおそらく、「郷ひろみ」という「王子様」的アイドルが、
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