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郷ひろみ、そして「新御三家」のアイドル史的意味

太田省一 社会学者

 前回、「新御三家」のうちのまず2人、野口五郎と西城秀樹について見た。今回は、残る郷ひろみについてふれたうえで、男性アイドル史において「新御三家」が果たした役割について考えてみたい。

「王子様」の系譜を継ぐジャニーズ、郷ひろみ

 西城秀樹が男性アイドルにおける「不良」の継承者であったとすれば、もうひとつの系譜である「王子様」のポジションにいたのが郷ひろみだった。それは、郷ひろみが「王子様」的アイドルの原点であるジャニーズのタレントであったという意味では自然な流れでもあった。

 1955年生まれの郷は、ジャニー喜多川が自らスカウトした数少ないタレントのひとりである(郷ひろみ『20才の微熱』レオ出版、49-50頁)。1971年のことだった。その後NHK大河ドラマ『新・平家物語』への出演を経て、1972年に「男の子女の子」でデビュー。早速オリコン週間シングルチャートでベストテン入りとなった。「新御三家」のなかでは最後のデビューだが、人気が出るのはその意味で最も早かった。

 そこには、現在にも通じるジャニーズ事務所独特の育成システムの効用もあっただろう。「郷ひろみ」という芸名の由来は、それを物語る。

 知られるように、ジャニーズ事務所には「ジャニーズJr.」と呼ばれるデビュー前のタレントが存在する。彼らは、すでにデビューした先輩グループのバックダンサーなどでステージに立つ。それは、単に経験を積ませるというだけでなく、デビューする以前の段階から熱心なファンを生むことにもなる。

 すでにそのような仕組みは、ジャニーズ事務所の草創期から存在していた。第2回で取り上げたフォーリーブスは、デビュー前から初代ジャニーズのステージに出演していた。そして同じく郷ひろみもフォーリーブスに同行し、そのステージに登場していた。

 そんなある日のこと。デビュー前の郷ひろみは本名の原武裕美としてフォーリーブスのテレビ番組のステージに立った。それは、歌手としての初舞台であった。するとそのとき、会場の女性たちから一斉に「ゴーゴーゴーゴー レッツゴーヒロミ」というコールを「お祝い花火のように浴びせられた」。これに驚きと感激を味わった彼は、この「ゴー」にちなんで芸名を「郷ひろみ」に決める(同書、67-68頁)。

郷ひろみさんの歌手人生は「ゴーゴーゴーゴー レッツゴーヒロミ」というファンのコールから始まった=2015年、「紅白歌合戦」(NHK)のリハーサルで拡大郷ひろみさんの歌手人生は「ゴーゴーゴーゴー レッツゴーヒロミ」というファンのコールから始まった=2015年、「紅白歌合戦」(NHK)のリハーサルで

 前回西城秀樹の歌の際のファンのコールにふれたが、ここではアイドルという存在がファンによって生み出されるものであることがよりストレートに示されている。ファンは、実在でありながら一種の虚構性を生きるアイドルという独特の存在の誕生に深く関与する。この場合、原武裕美というひとりの少年は、ファンのコールを通過儀礼的に体験することを通じて「郷ひろみ」というアイドルに生まれ変わったのである。

 そしてなかでもこうしたファン主導の度合いの高いアイドルは、やはり「王子様」的なものになるだろう。郷ひろみも、最初から「王子様」として完成されていたわけではない。ファンがそのようなものとして発見し応援することによって、彼自身も「王子様」的ポジションを徐々に自覚していくのである。


筆者

太田省一

太田省一(おおた・しょういち) 社会学者

1960年、富山県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなどメディア、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論――南沙織から初音ミク、AKB48まで』(いずれも筑摩書房)、『社会は笑う・増補版――ボケとツッコミの人間関係』、『中居正広という生き方』(いずれも青弓社)、『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント 』(光文社新書)、『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』(双葉社)など。最新刊に『ニッポン男性アイドル史――一九六〇-二〇一〇年代』(近刊、青弓社)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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