縦につながる「写本」、横に広がる「版本」、古い書物それぞれの機能と魅力
2019年10月26日
古典籍とは、明治以前に日本でつくられた書物のこと。国文学研究資料館には、重要文化財をふくむ約22000タイトル所蔵されている。
古典籍は見た目だけで、その本の機能やどのように扱われたのかなどを知ることができる。
まず重要なのは、手書きか、印刷かの違い。私たちは、手書きで記された本のことを「写本」、印刷された古典籍を「版本(板本)」と呼んでいる。写本には、何かを書き写したものだけでなく、日記や手紙といったオリジナルのものも含む。
書物の機能を「今」「ここ」にいない人へ何かを伝達することだとすると、写本は時間を超えて誰かに伝える「縦の機能」、版本は空間を超えて広げる「横の機能」を持っている。そのため、目の前にある古典籍が写本か版本を知ることで、その書物がかつて何のために作られ、どのように読まれたのかを考えることができるのだ。
江戸時代以前には、「書」自体への敬慕の気持ちや、書き写すこと=学び、という考え方があった。だから、写本の場合は書かれている内容よりも、誰が書いたのか、またはどのような筆跡で書いてあるかの方が大切な場合がある。
たとえば小倉百人一首を編んだことで有名な、鎌倉時代の歌人・藤原定家の筆跡は、線の細太の差が激しいなどの特色がある。室町時代、江戸時代になると、彼の書体は「定家流」として尊ばれ、和歌をしたためる時に好まれた。これは、歌人定家を敬い、権威付ける風潮と無関係ではない。
定家流以外でも、大切な本を筆写する時に、元の書体や文字の配列までを忠実に写すことがある。写本を作る人々は、元の形をとどめるということに、大きな意味を見出しているのである。
書物の末尾には、誰がいつどのような状況で記した(あるいは写した)のかという情報が書いてある場合がある。これを奥書(おくがき)という。
たとえば同じ「古今和歌集」であっても、名もなき誰かが写したものと、定家が写したものとでは、書物としての価値が全く違う。奥書は、書物の権威を保証するものとして大変重要視されたのである。そのため、違う人が著名な人の名前をそれらしく書いたり、書物の由来を偽装したりする「偽奥書」も生まれる。信用ならない情報も多いので、研究は、そのわなにかからないよう注意深く進めなくてはならない。
誰が誰のために書いたのかが分かることも、写本の特徴だ。
たとえば手紙などはその最たるものであるし、昔の人がつけていた日記は、個人的な記録というよりも、子孫のために事実を書き遺すという性格のものであることが多い。
また、画賛(がさん)という文芸がある。
画賛とは、絵に添えた和歌や詩のことで、絵と文字の取り合わせの妙――画面をどのように使っているのか、一人で絵も賛も手掛けたのか、絵と賛はそれぞれ違う人が描(書)いたかなど――を楽しむことができる。
ここでは、大切な人に贈るためにしたためられた画賛について紹介したい。
短編怪異小説集『雨月物語(うげつものがたり)』(安永5年〈1776〉刊)で有名な上田秋成(うえだあきなり)(享保19~文化6年〈1734~1809〉)は、57歳で左眼を、65歳で時に右眼を失明した。その時左眼を治療し、晩年の創作を可能にしたのが、「神医」と名高い谷川三兄弟であった。
秋成は三兄弟に並々ならぬ感謝を寄せ、多くの特別な贈り物をしている。
そのなかのひとつに、「霜雪の暁ごとに起きなれて 雲の香啜(すす)る命なりけり」という和歌をしたためた一幅(軸装された画賛)がある。本紙126.5×57.5センチという大作である。
煎茶のことを「天の雲」といい、「雲の香」はお茶の香り。秋成はいわゆる小説だけでなく、和歌や煎茶(せんちゃ)にも通じていた。寒い朝、煎茶を愉(たの)しむ秋成自身の姿が想像される歌である。下の方には、煎茶に使う急須や炉が描かれており、文字の一部(香啜る)が湯気のように見える。文字と絵で自由に遊ぶことのできる写本ならではの工夫である。
同じ和歌を記した画幅は他にも存するが、このような工夫がみられるのは谷川家蔵の一本であり、秋成が格別な想いを込めた一幅であることがわかる。
このように、いつ、誰が、誰のために書いたのかがはっきりと分かる写本は、それを書いた人と写本の所有者との繋がりを、強く感じさせてくれる。
写本による人と人との繋がりについて深く知りたい方は、飯倉洋一著『上田秋成―絆としての文芸』(大阪大学出版会、2012年)を読んでみてください。
一方、多くの本を刷れる「版本」によって、たくさんの古典籍が現在に残されている。
日本の印刷物は、古く奈良時代のものが残っている。
最古の印刷物は、8世紀に、滅罪と鎮護国家を願って作られた「百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)」。陀羅尼経というお経を印刷し、百万塔の中に納めている。早い時期の印刷物にはお経などが多く、宗教的な教えを多くの人に広めるために、寺院などを中心に印刷技術が発達したことが分かる。
この頃の印刷は、木製や銅製の活字を使ったものが中心だった。だが、印刷技術が急激に発達した江戸時代の中頃から、一枚の板に文章も絵も入れることのできる「製版印刷」が盛んになる。
製版印刷とは、板木に彫られた凹凸を墨で刷るもので、毎度活字を組み直す必要がある活版印刷とは異なり、一度板木を作ると、凹凸がすり減って読めなくなるまで、印刷物を生み出すことができる。つまり、板木を所有していることが、利益を生み出すことと結びついたのだ。
そして、18世紀初期に行われた享保の改革をきっかけとして版元(本屋)の利権が保証されるようになり、出版が商業ベースに乗る時代がやってくる。
製版印刷の特色のひとつは、絵と文字とを自由に配置できることだ。
江戸時代中期以降、挿絵がふんだんに施された絵本が、数多く出版された。特に多色刷りが発達したことにより、カラフルで豪華な表紙で読者の注目を集め、購買意欲をそそる工夫も行われた。
印刷技術の発達、そして出版業界の隆盛により、版本はより多くの人の手にわたり、何かを伝え、広げる手段となった。
現在に残された古典籍から、多くの人々に読まれたであろう形跡を読み取ることができる。
上の写真は、式亭三馬『稗史億説年代記(くさぞうしこじつけねんだいき)』(享和2年〈1802〉刊)の見返し部分。これは、江戸で流行した大人向けの絵入読み物・黄表紙だ。とはいえ、子どもから大人まで、さまざまな人が楽しんだだろうと考えられている。
当時は、本を購入するだけでなく、貸本屋からレンタルして読んだり、何人かで回し読みをしたりすることも多かったようだ。
この本の見返しには、“この本がどこへ行っても、お読みになったら、必ず私の許へと戻して下さい”という、持ち主による注意書きが記されている。これは、本を借りたまま自分のものにしてしまう人がいて、元の場所へ戻らないことがしばしばあったことを意味している。それだけ多くの人の手から手へと渡り歩いた本だったともいえる。
そもそも版本の制作・流通には、多くの職人、業者が関わっている。
このように、さまざまな人が関わり、洗練された技術を用いることによって、魅力的な書物を広く浸透させたのが、版本なのだ。
絵巻「百鬼夜行図」に想を得た、「Ghostly」というインスタレーション作品が展示されました。梁さんのないじぇるでの活動は、こちらで紹介しています。
また、同じく「ないじぇる」のイベント「デジタル発和書の旅 古典籍×〇〇―であう・うみだす・みとおす―」が、2019年10月5日、京都市下京区のFab Cafe Kyotoで催されました。松平莉奈さん(日本画家)と梁亜旋さんの作品展示とトーク、近世文学研究者の入口敦志・国文学研究資料館教授によるレクチャーが行われました。イベントの模様はこちらで紹介しています。
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