有澤知世(ありさわ・ともよ) 神戸大学人文学研究科助教
日本文学研究者。山東京伝の営為を手掛りに近世文学を研究。同志社大学、大阪大学大学院、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2017年1から21年まで国文学研究資料館特任助教。「古典インタプリタ」として文学研究と社会との架け橋になる活動をした。博士(文学)。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
縦につながる「写本」、横に広がる「版本」、古い書物それぞれの機能と魅力
古典籍とは、明治以前に日本でつくられた書物のこと。国文学研究資料館には、重要文化財をふくむ約22000タイトル所蔵されている。
古典籍は見た目だけで、その本の機能やどのように扱われたのかなどを知ることができる。
まず重要なのは、手書きか、印刷かの違い。私たちは、手書きで記された本のことを「写本」、印刷された古典籍を「版本(板本)」と呼んでいる。写本には、何かを書き写したものだけでなく、日記や手紙といったオリジナルのものも含む。
書物の機能を「今」「ここ」にいない人へ何かを伝達することだとすると、写本は時間を超えて誰かに伝える「縦の機能」、版本は空間を超えて広げる「横の機能」を持っている。そのため、目の前にある古典籍が写本か版本を知ることで、その書物がかつて何のために作られ、どのように読まれたのかを考えることができるのだ。
江戸時代以前には、「書」自体への敬慕の気持ちや、書き写すこと=学び、という考え方があった。だから、写本の場合は書かれている内容よりも、誰が書いたのか、またはどのような筆跡で書いてあるかの方が大切な場合がある。
たとえば小倉百人一首を編んだことで有名な、鎌倉時代の歌人・藤原定家の筆跡は、線の細太の差が激しいなどの特色がある。室町時代、江戸時代になると、彼の書体は「定家流」として尊ばれ、和歌をしたためる時に好まれた。これは、歌人定家を敬い、権威付ける風潮と無関係ではない。
定家流以外でも、大切な本を筆写する時に、元の書体や文字の配列までを忠実に写すことがある。写本を作る人々は、元の形をとどめるということに、大きな意味を見出しているのである。
書物の末尾には、誰がいつどのような状況で記した(あるいは写した)のかという情報が書いてある場合がある。これを奥書(おくがき)という。
たとえば同じ「古今和歌集」であっても、名もなき誰かが写したものと、定家が写したものとでは、書物としての価値が全く違う。奥書は、書物の権威を保証するものとして大変重要視されたのである。そのため、違う人が著名な人の名前をそれらしく書いたり、書物の由来を偽装したりする「偽奥書」も生まれる。信用ならない情報も多いので、研究は、そのわなにかからないよう注意深く進めなくてはならない。
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