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手書きか、印刷か、それが問題だ

縦につながる「写本」、横に広がる「版本」、古い書物それぞれの機能と魅力

有澤知世 神戸大学人文学研究科助教

人と人とを結ぶ「写本」

古典籍の森拡大「ないじぇる芸術共創ラボ」のワークショップで上田秋成の「霜雪の」の画賛について解説する飯倉洋一・大阪大教授=2019年7月26日

 誰が誰のために書いたのかが分かることも、写本の特徴だ。

 たとえば手紙などはその最たるものであるし、昔の人がつけていた日記は、個人的な記録というよりも、子孫のために事実を書き遺すという性格のものであることが多い。

 また、画賛(がさん)という文芸がある。

 画賛とは、絵に添えた和歌や詩のことで、絵と文字の取り合わせの妙――画面をどのように使っているのか、一人で絵も賛も手掛けたのか、絵と賛はそれぞれ違う人が描(書)いたかなど――を楽しむことができる。

 ここでは、大切な人に贈るためにしたためられた画賛について紹介したい。

 短編怪異小説集『雨月物語(うげつものがたり)』(安永5年〈1776〉刊)で有名な上田秋成(うえだあきなり)(享保19~文化6年〈1734~1809〉)は、57歳で左眼を、65歳で時に右眼を失明した。その時左眼を治療し、晩年の創作を可能にしたのが、「神医」と名高い谷川三兄弟であった。

 秋成は三兄弟に並々ならぬ感謝を寄せ、多くの特別な贈り物をしている。

 そのなかのひとつに、「霜雪の暁ごとに起きなれて 雲の香啜(すす)る命なりけり」という和歌をしたためた一幅(軸装された画賛)がある。本紙126.5×57.5センチという大作である。

 煎茶のことを「天の雲」といい、「雲の香」はお茶の香り。秋成はいわゆる小説だけでなく、和歌や煎茶(せんちゃ)にも通じていた。寒い朝、煎茶を愉(たの)しむ秋成自身の姿が想像される歌である。下の方には、煎茶に使う急須や炉が描かれており、文字の一部(香啜る)が湯気のように見える。文字と絵で自由に遊ぶことのできる写本ならではの工夫である。

 同じ和歌を記した画幅は他にも存するが、このような工夫がみられるのは谷川家蔵の一本であり、秋成が格別な想いを込めた一幅であることがわかる。

 このように、いつ、誰が、誰のために書いたのかがはっきりと分かる写本は、それを書いた人と写本の所有者との繋がりを、強く感じさせてくれる。

 写本による人と人との繋がりについて深く知りたい方は、飯倉洋一著『上田秋成―絆としての文芸』(大阪大学出版会、2012年)を読んでみてください。


筆者

有澤知世

有澤知世(ありさわ・ともよ) 神戸大学人文学研究科助教

日本文学研究者。山東京伝の営為を手掛りに近世文学を研究。同志社大学、大阪大学大学院、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2017年1から21年まで国文学研究資料館特任助教。「古典インタプリタ」として文学研究と社会との架け橋になる活動をした。博士(文学)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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