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木庭顕氏に聞く 古典と近代の「複雑な関係」 

木庭顕 歴史学者、東京大学名誉教授

 「西欧近代」の成立には、古代ギリシャ・ローマの「古典」を連綿と読み続ける作業が必要不可欠だった――。朝日新聞の7月8日付朝刊「文化の扉」に掲載された「西欧近代 古典が源流」(朝日新聞デジタル版は「(文化の扉)西欧近代、古典が源流 古代ギリシャ・ローマの分析、多様な学問生む」)は、イタリア出身の20世紀の歴史学者、アルナルド・モミッリャーノ(モミリアーノ)の研究をもとに、「歴史学の歴史」の大きな流れを紹介した。ただ、紙幅の都合から記事で触れることができなかった論点も多い。記事のベースになった、歴史学者でギリシャ・ローマ史が専門の木庭顕・東京大学名誉教授とのやりとりの全体を紹介する。(聞き手・文化くらし報道部 大内悟史)

――とても大きな質問から始めますが、「西欧近代」あるいは「近代」にとって、古代ギリシャ・ローマの影響は極めて大きいものだと言われます。でも、考えてみればこれは少々不思議な話だと思います。古代と近代は、時間的にみて少なくとも1000年以上隔たっており、地理的にみても、ローマはともかくギリシャは欧州の「端っこ」です。

木庭 欧州における「近代」は「古代ギリシャ・ローマという巨人に肩車された小人」にたとえられてきました。近代は、発展の度合いからいえば確かに「一段上」であるけれども、そうした積み上げの大きな部分をギリシャ・ローマに負っている、という意味ですね。

 もっとも、「暗黒の中世」がギリシャ・ローマのインパクトで急に啓(ひら)けた、という19世紀風の「ルネサンス観」は、さすがに現在では全く支持されません。例えば、「12世紀ルネサンス」と呼ばれるように、12世紀以来の中世の蓄積を顧慮する必要があります。ただ、他ならぬ「古典」と「近代」の関係自体が、かつて考えられたより遙かに複雑であることも着目されるようになっています。これは、ギリシャ・ローマ像が根本からあらためられた、ということでもありますが、それと同時に、近代の問い直しにもつながる大きな問題です。

木庭顕・東京大学名誉教授(ギリシャ・ローマ史)木庭顕・東京大学名誉教授(ギリシャ・ローマ史)

史料のバイアスを手がかりにしたモミッリャーノ

――中世とルネサンスの関係が見直されるのとはまた別に、古典と近代の「複雑な関係」が近年になって見えてきているということですね。

木庭 そうです。そうした「複雑な関係」を、歴史学の歴史である「史学史」を鍵として大きな枠組みで描いたアルナルド・モミッリャーノ(1908~87)は「複雑な関係」の解明に大きく貢献した一人です。以下、彼の仕事を紹介することによって、新たに見出された「複雑な関係」の一端を紹介することとしましょう。

 モミッリャーノは、おもに戦後の英語圏で活躍したギリシャ・ローマ史の研究者ですが、彼が画期的だったのは、「史料批判」における史料上のバイアス(ねじ曲げ)の取り扱いです。彼は史料のバイアスを、多くの歴史学者がやるようにバイアスを取り除くために検証するのではなく、そのバイアスを発生させた要因を、かえって歴史的現実を探究する手がかりとして利用しました。

イタリアの歴史学者、モミッリャーノ(モミリアーノ)の関連書籍。英語圏でも幅広く読まれてきたイタリアの歴史学者、アルナルド・モミッリャーノ(モミリアーノ)の関連書籍。英語圏でも幅広く読まれてきた

――意外です。史料のバイアスは、ある時代の歴史的現実を探る邪魔になる、取り除くべきもの、というイメージがあります。どういう手順を踏むのか、もう少し詳しく説明してください。

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