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大阪万博その1 笛吹男は収容所帰りの赤色浪曲師

【1】三波春夫「世界の国からこんにちは」

前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家

前口上
 故・赤瀬川原平、南伸坊、藤森照信氏らによる路上観察学会事務局をつとめて、四半世紀を超える。あるとき、そもそもなんでわれわれは出来立てほやほやのツルピカ町には惹かれず、行ったこともない古い路地裏に感動するのかがテーマとなったとき、藤森照信氏が、たまたま小屋を新調してもらったばかりの犬をとある〝しもた家〟の軒下に見つけて、いかにも建築史家らしい絶妙なコメントをはなった。あの犬は散歩のときにどこかの家の古びた犬小屋をみかけて、昔をなつかしむだろうか。そんな感情をもつのは人間だけだ、と。

 どうやら、行ったこともない、見たこともない、聴いたこともないのに、それを懐かしいと感じてさらなる生存の糧にできるのは、人間のみがもつ特性らしい。あの時、あの場所、あの唄を実体験しえた世代だけがその価値に共感するのではない。行ったことも見たことも聴いたこともない若い世代にとって、いや未だ生まれてもいない、これから生まれてくる世代にとっても、よりよく生きるための大いなる糧となる。ときに水や食料よりも。

 これを「遺産効果」という。 

 昭和が生んだ演歌にフォークにJポップ。明るい未来を夢見てひた走ってきた戦後日本の青春時代の「歌枕」。その知られざるエピソード、あるいは忘れさられてしまった秘話をたずねあて、〝昭和を知る同世代〟には失ってみてわかるほろ苦くも懐かしいグッドオールドデイズへのオマージュを捧げ、〝昭和なんか知らない世代〟には埋もれてしまった「価値」を掘り起して語り継ぎ、手渡したいと思う。

 では、いざ、「昭和歌謡遺産」を訪ねる時空の旅(タイムトリップ)へ!

万博会場。この時代、外国人観光客の存在自体がまだ物珍しかった=1970年3月、大阪府吹田市

国民総動員歌のサブリミナル効果

 さて、第1回の昭和歌謡歌枕はどこにするか。北からはじめて南へくだるか。はたまた年代順でいくか。それとも日本の中心の中心である花の銀座からか、それとも日本の道の起点であるお江戸日本橋からか。いやいや、ここはやはり行き当たりばったり、♪行方定めぬ旅枕ならぬ歌枕、たまたまついでに立ち寄ったぐらいがかえって望外の成果があるものだ。というわけで、栄えある初回の昭和歌謡遺産の歌枕は、たまたま大阪に用事があったので、昭和45年(1970)に本邦初にしてアジア初の「日本万国博覧会」(略称「大阪万博」「EXPO'70」)の開催地となった大阪府は吹田の万博記念公園へ行くことにした。

記念公園入口へのアプローチ脇にひっそりたたずむ記念碑と財界総理とよばれた万博協会長・石坂泰三の胸像。うっかりすると見落としそうになる。
グッズのコンセプトはやはり岡本太郎の「太陽の塔」から

 今をすぐる半世紀前、広大なここ千里丘陵(約350ヘクタール)には、「人類の進歩と調和」をテーマに、日本を含む77カ国と4つの国際機関が参加。めざすは、高度経済成長を成し遂げ、アメリカに次ぐ経済大国となったことを誇らしげに世界にむかって発信する、昭和39年(1964)の東京オリンピック以来の国家的イベントであった。現在ここは公園となっているが、売店では様々な万博グッズが売られ、いまだ万博気分が生き永らえる不思議な時空間となっている。

 実は、ここを訪れるのは初めてである。ゆえあって、半世紀前に日本中を狂騒させたお祭りには参加しなかった。そのわけはおいおい語るとして、そんな私にも、万博というと一番に思い出されるのは、「♪こんにちは、こんにちは」を連呼するあの唄である。正式には「世界の国からこんにちは」という。

「こんにちは」の連呼。歌詞全体の5割超

三波春夫「世界の国からこんにちは」 作詞:島田陽子、作曲:中村八大
 万博開催の1年ほど前からラジオやテレビ、パチンコ屋をはじめ巷でさかんに流れるようになった。能天気なまでの明るさに当時の私はとてもついていけなかったが、タコになった耳から記憶中枢に侵入、覚えたくもないのに、パチンコの玉をはじきながらついつい口ずさんでいる自分を許せなく思ったおぼえがある。なぜ許せないのか、往時は1960年代後半のベトナム反戦と大学紛争の残り火がまだくすぶっており、全共闘の残党としてその末尾に加わっていた私にとっては、万博は「フンサイ!」の対象だったからだ。そんな万博反対の私が口ずさんでしまうのだから、自分を許せないと感じると同時に、「この唄はあなどれない、用心、用心」と内心おそれたものだった。

 今から考えると、それは「こんにちは」を繰り返すサブリミナル効果だったのだろうか。6年前に万博と同じく国家の威信をかけた東京五輪のテーマソング「東京五輪音頭」(作詞:宮田隆、作曲:古賀政男)と比べてみると、サブリミナル度の違いは瞭然である。

三波春夫 東京五輪音頭」 作詞:宮田隆、作曲:古賀政男
 「東京五輪音頭」は、「♪あの日ローマでながめた月が/きょうは都の空照らす/四年たったらまた会いましょと・・・」と、ストーリーがあり歌謡曲の体裁になっている。ところが、「世界の国から〜」は、「♪こんにちは こんにちは 西のくにから/こんにちは こんにちは 東のくにから/こんにちは こんにちは 世界のひとが/こんにちは こんにちは さくらの国で・・・」と「こんにちは」が連呼され、歌詞を3番まで平がなで読み下した文字数にしめる「こんにちは」の比率は297文字対165文字でなんと55.6%。これでは歌謡曲というより、社名のジングルを連発するCMソングである。国家的イベントに国民を総動員するための「ハメルンの笛」には、あきらかに「世界の国から〜」が向いているのはいうまでもない。

国民の6割超を動員

 では、いったいどれくらいの日本人が「万博の〝こんにちは〟笛」に惹かれて大阪は千里丘陵へと連れて行かれたのか。調べてみたら、これがすごい。

 3月15日~9月13日のべ183日間の総入場者数は6421万8770人、なんと国民の半数以上が

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