【2】三波春夫「世界の国からこんにちは」
2019年10月25日
国民の大半を駆り立てた強力な原動力は、三波による「万博の笛吹き唄」以外にもう一つあった。それは岡本太郎の「太陽の塔」だ。これを見た人は吹聴したくなり、それがまた人を呼ぶ。私も今回はじめて現物をみて圧倒された。写真に撮るだけでなく売店でフィギュアまで購入してしまった。そして前述した半世紀前の居酒屋のシーンの続編を思い出した。おっさんの飲み仲間がテレビに映った「太陽の塔」を指さしてこう呼応したのである。「三波春夫の唄もだけど、このとんでもない代物をさんざ見せられてるとさ、もう行ったのとおなじ気分になっちゃうよな」
「(岡本太郎は)たしかに絵はうまかった。ところが、絵よりももっとうまいのはピアノであった。普通部の何年生のときだったか、講堂からベートーベンの『ムーンライト・ソナタ』のピアノが流れてくる。その調べは正確無比で非のうちどころがない。『だれだろう?』と思ってのぞいたら、タロウ君だった。カレはその方面でも、十分やっていける才能があった」
「もし、ジャズが大正一ケタの早いころから日本に入っていたら、カレはジャズピアニストになっていたような気がする。ジャズは、テンポ、リズム、ハーモニー、フィーリング、フレージングといったものに敏感でなければ演奏できない芸術だが、タロウ君はそのどれもすばらしい才能を持っていたからだ」(藤山一郎「わが友・岡本太郎君」、『夕刊フジ』「人間グリーン675、676」1976年12月12日、14日付)
この証言からも、クラシックとジャズ好みの岡本が、三波の浪曲調のプロパガンダソングを評価するとは考えづらい。いっぽう三波は太陽の塔と岡本をどう見ていたのか。「傍証」となりそうなこんなコメントがある。
「山田耕筰が彼(三波春夫)を高く評価していたことは有名であり、又、民族音楽の研究家、故・小泉文夫氏も彼と対談した後、『彼のような芸術家とあうことはまことに胸踊る体験であった』と書いている。〝芸術家〟とは、三波春夫にはいかにも不似合に思えるが、三波自身、自らをはっきりと『芸術家』として認じており、自著のなかでもそう称することをはばからない。もっとも彼の言う『芸術家』とは大衆(具体的に言えば、彼のファンである〝観客〟)に対して明確な戦略をもって自分の芸(歌)を位置付けている、といった意味ではないかと思う。要するに、彼はマルクス-レーニン主義的に自分の芸を位置付けているのだ。つまり最もオーソドックスな意味で大衆芸術家である。このように明瞭に、かつ大胆な自己認識は『芸術は生命力の爆発である』の岡本太郎にも似ているようで、その臆面のない『芸術家ぶり』は、いっそうさわやかな印象を人々に――とりわけ複雑に屈折した心理をもつ(たとえば小泉氏のような)インテリに与えるのではないか」(南原四郎『歌謡界銘々伝』パロル舎、1994)
この三波評価は間違っていないと私は思う。となると、「芸術家同士はむしろあわない。とりわけ両者が自らを芸術家と自認している場合はなおさらである」の原則が当てはまる。
さて、弱った。両者に親和性がないとなれば、相乗効果は期待できない。それどころか、効果は減殺されマイナスに働く。なのに、なぜあれほどの動員力を発揮しえたのか。いや、よくよく考えると、むしろここにこそ
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