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大阪万博その2 仕掛けられた「反博」の爆弾

【2】三波春夫「世界の国からこんにちは」

前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家

岡本太郎は三波春夫をどう評価したか?

拡大三波春夫「世界の国からこんにちは」 作詞:島田陽子、作曲:中村八大
 私は、「♪こんにちは、こんにちは」と三波の唄を口ずさみながら、いま一度、太陽の塔を見上げて、つくづく思った。どうみても両者はあいそうもない。

 そこで岡本が三波の唄をどう感じていたのかを調べてみたが、当人の直接の証言をみつけることはできなかった。しかし、戦前戦後歌謡界を代表する藤山一郎の交遊録のなかに、面白い「証言」を発見した。岡本と藤山が慶応幼稚舎(小学校)と普通部(中学校)で同級生、それも後にゴルフをするほどの生涯の親友であったことは、不明にして今回はじめて知ったが、こんなコメントである。

 「(岡本太郎は)たしかに絵はうまかった。ところが、絵よりももっとうまいのはピアノであった。普通部の何年生のときだったか、講堂からベートーベンの『ムーンライト・ソナタ』のピアノが流れてくる。その調べは正確無比で非のうちどころがない。『だれだろう?』と思ってのぞいたら、タロウ君だった。カレはその方面でも、十分やっていける才能があった」
 「もし、ジャズが大正一ケタの早いころから日本に入っていたら、カレはジャズピアニストになっていたような気がする。ジャズは、テンポ、リズム、ハーモニー、フィーリング、フレージングといったものに敏感でなければ演奏できない芸術だが、タロウ君はそのどれもすばらしい才能を持っていたからだ」(藤山一郎「わが友・岡本太郎君」、『夕刊フジ』「人間グリーン675、676」1976年12月12日、14日付)

 この証言からも、クラシックとジャズ好みの岡本が、三波の浪曲調のプロパガンダソングを評価するとは考えづらい。いっぽう三波は太陽の塔と岡本をどう見ていたのか。「傍証」となりそうなこんなコメントがある。

 「山田耕筰が彼(三波春夫)を高く評価していたことは有名であり、又、民族音楽の研究家、故・小泉文夫氏も彼と対談した後、『彼のような芸術家とあうことはまことに胸踊る体験であった』と書いている。〝芸術家〟とは、三波春夫にはいかにも不似合に思えるが、三波自身、自らをはっきりと『芸術家』として認じており、自著のなかでもそう称することをはばからない。もっとも彼の言う『芸術家』とは大衆(具体的に言えば、彼のファンである〝観客〟)に対して明確な戦略をもって自分の芸(歌)を位置付けている、といった意味ではないかと思う。要するに、彼はマルクス-レーニン主義的に自分の芸を位置付けているのだ。つまり最もオーソドックスな意味で大衆芸術家である。このように明瞭に、かつ大胆な自己認識は『芸術は生命力の爆発である』の岡本太郎にも似ているようで、その臆面のない『芸術家ぶり』は、いっそうさわやかな印象を人々に――とりわけ複雑に屈折した心理をもつ(たとえば小泉氏のような)インテリに与えるのではないか」(南原四郎『歌謡界銘々伝』パロル舎、1994)

 この三波評価は間違っていないと私は思う。となると、「芸術家同士はむしろあわない。とりわけ両者が自らを芸術家と自認している場合はなおさらである」の原則が当てはまる。

 さて、弱った。両者に親和性がないとなれば、相乗効果は期待できない。それどころか、効果は減殺されマイナスに働く。なのに、なぜあれほどの動員力を発揮しえたのか。いや、よくよく考えると、むしろここにこそ

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筆者

前田和男

前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家

1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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