『ゴールデンカムイ』に呼ばれて
本や映画に描かれた土地に行きたくなる。実際に行ってみる。そんな経験をしているひとは少なくないと思う。
とくにアニメやマンガの舞台を訪ねることは、「聖地巡礼」とも呼ばれる。たとえば埼玉県の秩父は、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』や『心が叫びたがってるんだ。』の聖地としてにぎわっているらしい。
わたしも、この夏休みを聖地巡礼に投じてしまった。目的地は、サハリン。『ゴールデンカムイ』(通称、金カム)の聖地だ。
『週刊ヤングジャンプ』に連載されている野田サトル『ゴールデンカムイ』(集英社)は、日露戦争の帰還兵とアイヌの少女を主人公に、いわくつきの人物たちが隠された金塊のありかを求めてしのぎをけずる、アクションあり、笑いあり、旅あり、グルメあり、肉体美ありの超人気マンガで、コミックの帯にはシリーズ累計1000万部突破と謳われている。昨年(2018年)、マンガの賞としては最高峰の、手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。アニメ化も評判を呼び、シリーズ第三期の製作が発表されている。

野田サトル『ゴールデンカムイ』(集英社)既刊=撮影・筆者

大英博物館で開催された「Manga」展のパンフレット=撮影・筆者
今年の5月から8月にかけて、ロンドンの大英博物館では、日本のマンガを海外最大規模で紹介する
「Manga」展が開催された。展覧会のメインヴィジュアルは、『ゴールデンカムイ』の主人公、アシㇼパだった。この作品が選ばれたのは、人気だけが理由ではないはずだ。少数民族やジェンダーの描かれ方の豊かさやフェアさが、エンタテインメントとしての成功とわかちがたく結びついていることも、高く評価されてのことだろう。
3月には、『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』(集英社新書)が、『ゴールデンカムイ』のアイヌ語監修を務める中川裕さんにより上梓され、金カムファンのアイヌ文化への理解は一段と深まることになった。この新書は抜群のアイヌ入門書なので、『ゴールデンカムイ』を読んだことがないひとにもおすすめしたい。
アイヌ語・アイヌ文化をはじめとして、武器や服飾や習俗など、丹念な考証に基づくディティールの描写が、『ゴールデンカムイ』の大胆なストーリーにリアリティを与えている。大正期まで北海道で生きた新撰組隊士の永倉新八が登場する一方で、明治末に生きていたはずのない新撰組副長の土方歳三が登場するなど、史実と虚構の絶妙なブレンドは、読者の探究心をくすぐってやまない。冒険譚は北海道の各地を転々として繰り広げられるので、北海道はすでにして金カムファンの聖地だ。道を挙げてのスタンプラリーも催されたらしい。
さらに14巻からは、北海道から海を隔てた樺太が、つまり、日本とロシアが南北を分割して領有していた日露戦争後のサハリン島が、主要な舞台となった。
大泊(現コルサコフ)、豊原(現ユジノサハリンスク)、敷香(しすか、現ポロナイスク)などを経て、ロシア人、樺太アイヌ、北方の少数民族のウィルタなどと交流しながら、かれらの旅はつづく。
北緯50度の国境を命からがら越えてロシア側に潜入したアシㇼパたちは、監獄の町、亜港(現アレクサンドロフスク・サハリンスキー)から、間宮海峡(タタール海峡)の流氷上に――。最新刊の19巻は怒涛の展開で、野田サトルさんのストーリーテリングと画力がますます冴えわたっている。
樺太が舞台となって以降は、ふきだしに、日本語、カタカナのアイヌ語に加えて、樺太の先住民族の言葉やキリル文字のロシア語が混ざるようになった。トナカイとともに暮らすウィルタの暮らしなども、絵のなかに生き生きと表わされている(トナカイという言葉がアイヌ語に由来しているということは、『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』で学んだ)。多民族の暮らす多言語空間であった明治末の樺太が、これまでにない規模で知られるようになっているのだから、マンガというポップカルチャーの力はとてつもない。
北海道から目と鼻の先。国家と国家がせめぎあってきた辺境。さまざまなひとが移住をし(移住させられ)、先住民も移民も、激しく歴史に翻弄されてきた島、樺太/サハリン。
昨年、信頼する書店員さんに薦められて、後藤悠樹さんの『サハリンを忘れない――日本人残留者たちの見果てぬ故郷、永い記憶』(DUブックス)を読んだこともあり、サハリンへの関心は高まるばかりだった。
そんな折に、おつきあいのある著者の方が、サハリンに行くという。思いきって便乗させてもらうことにした。