そこはすでにチェーホフの聖地だった
わたしのなかではサハリンといえばもはや金カムなのだが、従来、サハリンが描かれた本としてまっさきに挙げられてきたのは、チェーホフの『サハリン島』(岩波文庫)だろう。本好きだけがそう思い浮かべるのではない。成田からたった1時間50分のフライトで着いたヨーロッパ、ロシア連邦のサハリン州は、国をあげて『サハリン島』とチェーホフ推しの土地だった。

「サハリン州立美術館」前にあるチェーホフの銅像=撮影・筆者
サハリンの玄関口であるユジノサハリンスク空港は、今年の6月、プーチンの大統領令により、アントン・チェーホフ空港と改名されることが決まったという。州都のユジノサハリンスクには、立派なチェーホフ劇場があり、その近くには、数年前に移転新築されたばかりの「アントン・チェーホフ『サハリン島』文学博物館」がある。
現在、州立美術館になっている旧北海道拓殖銀行豊原支店の建物の前にも、チェーホフの銅像が立っていた。レーニン像も目にしたが、それよりずっとチェーホフ像に遭遇した。これまで眼鏡をかけ頬杖をつく作家然としたイメージしかなかったが、チェーホフさん、かなり、(若いころはとくに、)魅力的な貌をしていることを認識した。

「アントン・チェーホフ『サハリン島』文学博物館」前にある『サハリン島』のレリーフ=撮影・筆者
だが、チェーホフ&『サハリン島』推しは、ちょっとどうかとよぎらなくもない。この作品は、30歳のチェーホフが遠流の島をはるばる訪れ、流刑者の暮らしぶりを徹底的に調査・見聞した記録で、劇作家として文学史に名を残すチェーホフにとっては異質の作品だし、その内容ときたら、地獄だなんだと、サハリンについてさんざんな書きぶりなのだから。
チェーホフが取材に用いたカードの複製が、「アントン・チェーホフ『サハリン島』文学博物館」に閲覧可能なかたちで展示されていた。医師でもあったチェーホフならではの、数千枚におよぶ膨大な流刑者の調査「カルテ」だ。
『サハリン島』によって可視化された囚人たちの過酷な境遇は、刊行後、社会問題となり、処遇の改善が進んだという。同時代に衝撃を与えただけでなく、このノンフィクション大作は、ロシアという国家が、政治犯を含む流刑者を酷使し、先住民の住む島を植民地化していった様を、いまに伝えている。
サハリンへの旅と『サハリン島』の執筆を糧に、チェーホフは人間描写にすぐれた戯曲や小説の名作をいくつも書き、それらは日本の文学作品にも大きな影響を与えることとなった。
サハリンには、典獄(刑務所官吏)ルイコフの名をとり名づけられた、ルイコフスエという村があった(現キーロフスコエ)。『ゴールデンカムイ』にも登場する樺戸集治監(のちの樺戸監獄)の置かれた土地が、初代典獄の名をとり月形と名づけられたことを思い出す。日本もロシアと同様、北海道という島を囚人に「開拓」させた。
土地の暗い歴史を伝える書物が観光資源とされる。それは、歴史が覆い隠されるより、はるかによいことに思える。北海道も、吉村昭の『赤い人』(講談社文庫)を、もっと推したらよいのかもしれない。