林瑞絵(はやし・みずえ) フリーライター、映画ジャーナリスト
フリーライター、映画ジャーナリスト。1972年、札幌市生まれ。大学卒業後、映画宣伝業を経て渡仏。現在はパリに在住し、映画、子育て、旅行、フランスの文化・社会一般について執筆する。著書に『フランス映画どこへ行く――ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』(花伝社/「キネマ旬報映画本大賞2011」で第7位)、『パリの子育て・親育て』(花伝社)がある。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
今こそ再評価したいフェミニスト女優
前稿で紹介した『去年マリエンバートで』の主演女優デルフィーヌ・セイリグは1990年に肺がんのため58歳の若さでこの世を去った。つまり、彼女が亡くなってから30年近くが経過しているのだ。残念ながら彼女の活動や功績の検証は、これまで本国でも少なめだったと言える。パリのシネマテークでさえ、出演作と監督作のレトロスペクティブが開催されたのは2010年のこと。亡くなってから20年後と大変遅い。だからこそ今年、本国で「不屈の女神たち。デルフィーヌ・セイリグ、映画とフェミニスト・ビデオの間」展が実現されたのは貴重な出来事であった。
この展覧会ではフェミニスト・セイリグの活動を豊富な資料で紹介している。男性社会に忖度ゼロの彼女の言動が、写真や映像資料などを通してイキイキと立体的に伝わってくるのだ。
展示の最初の方ですぐに印象的な映像が流れる。フランスで中絶論争が過熱していた1972年10月、セイリグがテレビの国営放送の討論会にゲスト出演を果たした時のものだ。まだ「女性の権利」を主張すれば脅迫すら受けた時代、女優が出演を引き受けるのは大変勇気のいる行動に違いない。彼女はタバコを手にして堂々と話し始める。
「あなたたちはほぼ男性ばかりの場所から、“女性に自由を与えるか否か”について議論をしています。しかし、私たち女性は愚かではないし、決まった時間に散歩をさせるべき犬でもありません。自分の体について自己決定ができるくらいに、私たちは理性を備えています」
彼女の正論を前に、政治家や医師ら同席の男性陣が不満そうに顔を歪める様子がなんだかおかしい。
人工妊娠中絶を巡る論争は、過去の話では全くない。トランプ政権下で保守派が勢いづくアメリカのいくつかの州をはじめ、世界各地で中絶禁止や制限へと舵をきる国や地域が増えている。
今年のカンヌ国際映画祭でも、アルゼンチン人のファン・ソラナス監督による中絶合法化をテーマとしたドキュメンタリー『Let It Be Law』が上映され、中絶合法化のシンボルである緑のスカーフを手にしたアルゼンチンの女性運動家たちもレッドカーペットを歩き、中絶合法化を訴えた。まさに世界的にも現在進行形の話題であり続けているのだ。
セイリグはすでに半世紀も前に一般の女性たちとデモ行進し、1971年には「私は中絶手術を受けた」とする有名な署名運動「343人のマニフェスト」に名を連ねた。また翌年には、16歳の少女が強姦で妊娠したために中絶を選び、その結果、不条理にも起訴された裁判では、少女をサポートするべく自ら証言台にも立った。女優という特権階級の城に籠もることなどなく、常に市民の一人として運動に身を投じた。実際に運動の渦中を生きた彼女の発言は、いま一度耳を傾ける価値があるだろう。