メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

無料

『いだてん』が描いた/描かなかった朝日新聞社

ドラマではコンパクトな田畑政治の職場も実は……

前田浩次 朝日新聞 社史編修センター長

田畑より前、夏目漱石や石川啄木の姿があったのは、木造社屋

いだてん田畑拡大1903年2月の東京朝日新聞社。夏目漱石が顔を出し、石川啄木が通っていたのは、この社屋

 東京朝日新聞社は、1888年(明治21)の創刊直後、銀座・瀧山町に木造2階建ての社屋を構え、1903年(明治36)に増築した。

 1907年(明治40)に夏目漱石が小説記者として入社し、時々の編集会議などに顔を出していたころ、そして09年(明治42)に石川啄木が校正係として入社して通勤していたのは、この木造社屋だ。

 それより前、1890年(明治23)には、東京朝日新聞は日本の新聞界で最初の輪転機をフランスから輸入して設置した。ドラマでは描かれなかったが、新聞は輪転機で大量に印刷されていた。そして販売店と仕事をする販売局、広告を扱う広告局などの社員たちもどんどん増えていた。

 1903年の増築でも手狭になり、北寄りの一帯を買収していって、20年(大正9)に建てたのが、鉄筋コンクリート4階建ての新社屋だった。

 ところが1923年(大正12)の関東大震災で、ビルの内部が燃えてしまった。実は、この4階建てのビルでも、当時の新聞発行には能力が足りないようになっていて、震災の時は設備増強や増築を実施し、または実施しようとしていた。

 いっそ別の場所に新社屋を、ということで、1927年(昭和2)に建てたのが東京・有楽町のビルだった。これが増築を重ねながら1980年(昭和55)まで朝日新聞の東京の拠点として使われた。

いだてん田畑拡大有楽町の東京朝日新聞社。移転翌年の1928年に数寄屋橋が完成した時の撮影

 「いだてん」では社員たちの熱気を描くために、太平洋戦争に突入するまでを同じコンパクトな編輯局の中におさめたようだが、実際には新聞事業が急成長し、輪転機など装置産業も拡大していて、新聞社の環境は大きく変わっていった。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

前田浩次

前田浩次(まえだ・こうじ) 朝日新聞 社史編修センター長

熊本県生まれ。1980年入社。クラシック音楽や論壇の担当記者、芸能紙面のデスクを経て、文化事業部門で音楽・舞台の企画にたずさわり、再び記者として文化部門で読書面担当とテレビ・ラジオ面の編集長役を務めたあと、2012年8月から現職。

前田浩次の記事

もっと見る