松本裕喜(まつもと・ひろき) 編集者
1949年、愛媛県生まれ。40年間勤務した三省堂では、『日本の建築明治大正昭和』(全10巻)、『都市のジャーナリズム』シリーズ、『江戸東京学事典』、『戦後史大事典』、『民間学事典』、『哲学大図鑑』、『心理学大図鑑』、『一語の辞典』シリーズ、『三省堂名歌名句辞典』などを編集。現在、俳句雑誌『艸』編集長。本を読むのが遅いのが、弱点。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
「新聞絶やすな 目を肥やせ」、売り上げナンバーワンの街頭スタンド
以下、当時の正子さんのスタンドがどのくらい注目されていたのか、その一端を紹介してみたい。
『Yu Yu』1973年(昭和48)8月31日号(タウン紙)は「銀座の『有名人』安住正子さん」と題し、正子さんを紹介している。
ここに店を出して、3年(目)になる。場所は、正確には有楽町2-4.いわば銀座の入口。玄関先。玄関番。
「永六輔さん? エーちゃんはあまり買わない。立ち話していくだけよ。あたしと同じで、好奇心が旺盛でね」
「渥美清さんは、朝日、読売、毎日と3種類の夕刊を買っていくわよ。スターぶっていないから、隣のお客さん、わかんないのね。若い売れっ子タレント? 買わないですよ。横目でチラリよ」
「(月の家)円鏡さん。円鏡さんは週刊明星とか、週刊平凡…。ほかのタレントの動きをみるんじゃない?」
『サンケイスポーツ』1974年12月18日号には「新聞絶やすな目肥やせ 販売スタンド日本一おばさん」のタイトルで、鉄道弘済会の売店をのぞいて都内に5000軒ある売店のなかで、一日20万円以上の日もある売り上げナンバーワンの売店として正子さんの店が挙げられている。
『デイリースポーツ』1975年(昭和50)10月5日号では記者の質問に、
やっぱり、週刊誌や雑誌は発売日が勝負どころになる。…それで、商品の置き場所や並べ方を考える。…カタイ本はこの正面、左手は女性週刊誌とマンガ雑誌、エロ週刊誌は右手の隅っこ、…よく売れる新聞は両方のハシのほうに置くの。端っこ。…新聞の活字をみて、なに新聞ってわかるし、紙面をみて、その新聞が売れるか、売れないかもわかっちゃう。
と答えている。正子さんは職業的臭覚を働かせ、どこに何を置けばいいか、工夫をこらしていたようだ。当時は新聞だけで1日1000部以上を売り、『週刊ポスト』『週刊現代』『週刊文春』『週刊新潮』などの出版社系週刊誌、『漫画アクション』や『ビッグコミック』などの漫画週刊誌がよく売れたという。
『話の特集』1976年11月号には「女ひとりの街頭売り」のタイトルで文章を寄稿している。
はじめは、ただ活字にふれる仕事を、と思った。本屋の店員でもよかったのだ。しかし、私はその日のお金が欲しかった。四畳半のアパートを借り、独立したばかり。今日一日食べるお金を手にしたかった。…
大きいニュースの時は、気分も浮き立つ。お客様がニュースを待っているのだ、という使命感。…こんな時は仕事が楽しい。…田中角栄逮捕で、新聞売り上げの新記録達成。東スポはいつもの三分の一にダウン。国民の関心はやはりロッキード。…
実際、多くのタレントさんが買いに来られる。…
ケーシー高峰さん。
「週刊『馬』がないね」
「もう木曜日だから売切れですよ」
田谷力三さん。
「お元気ですね」
「ええ、これでも七十を越えているんですよ。まだまだ元気いっぱいですよ」
草柳大蔵さんがタクシー乗場から、
「ガムください」
「これだけですけど」
「ロッテしかないのか。じゃ、グリーンガムちょうだい」
内海好江さん。
「週刊誌買うのは馬鹿らしいわ。見出しと写真を見るだけよ」
「どうぞ」
「でも、『住宅新報』買うわ」
野坂昭如さん。
「本当に立候補するんですか」
「うん、するよ」
「ところで最近の作品なんか読むと、面白くなくて…。『アメリカひじき』みたいなのはもう書かないんですか」
「あんなのは、いくら俺でも一生に一度か二度しか書けないよ」…
雨降り。テントを張って開店。毎日、寄ってくれる客もこの日はバッタリ。…
赤い帽子をかぶり、ジーンズ姿でてきぱきと新聞を売りさばく正子さんの姿と銀座の賑わいが彷彿させられる文章だ。
もともとフアンだった野坂昭如とは気があったようで、『火垂るの墓』の200部限定特装版(成瀬書房、1978年、定価2万8000円)や豆本のほか、よく本をもらった。
1986年(昭和61)12月『ある日本人 有楽町に世相を見る』と題し、「今日は東京の繁華街で、世の中のうつり変わりを眺めながら31年間新聞売りを続けている、安住正子さんをご紹介します」とNHK国際放送から海外に放送が流れた。