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数寄屋橋に「新聞売りのおばちゃん」がいた時代

「新聞絶やすな 目を肥やせ」、売り上げナンバーワンの街頭スタンド

松本裕喜 編集者

社会が凝縮されていた小さな売り場

 2001年(平成13)11月27日の朝日新聞「声」欄に「ニュース売り 歩んだ46年間 新聞販売 安住正子(東京都板橋区 66歳)」の投稿が掲載されている。

 20歳の時、学もない私が大都会ですぐ日銭を稼げる仕事をと、新聞広告で見つけたのが、新聞スタンド販売という仕事。以来、酷暑であれ、酷寒であれ、ひたすら街頭に立ち、その時々のニュースと共に歩んできた46年です。
 三菱重工爆破、浅間山荘事件、三島由紀夫自決、昭和天皇崩御など、大ニュースを売りさばきました。その間、これでもか、これでもかと、週刊誌の発刊ラッシュ。そして相次ぐ休刊。めまぐるしく変わる社会そのものが、小さな売り場に凝縮されているような気がします。
 返品こん包のために曲がった指、紙に脂を取られて硬くなった手のひら。患った大病も克服しました。お客との会話の楽しさ、ニュースを売るのだという使命感? それらに支えられ、体が続く限りやっていくつもりです。
 来し方を語るてのひら秋深む

 「患った大病」は「肺がん」で、長年の街頭販売で排気ガスを浴びつづけたせいだったと正子さんは言う。

 冒頭の文章の15年後、JR浅草橋駅西口に移っていた正子さんのスタンドを訪ねた永六輔は、自己の人生哲学にからめ、正子さんのどこに惹かれるのかを以下のように語っている。

 …東京って一番人が歩いているところなのね。日本でも世界の中でも。おばさんは何十年と見てきているからね。見続けて四十年、そこが凄いのね。東京ってこんなにたくさん人が歩いているのに人を見ていない。歩いている人を見ていない人が世の中を動かすのはよくないんだよね。…
 最近僕があまり東京にいたくないって思うのは、古い街並が消えるからではなく、安住さんのような人がいなくなったからなんですよ。なんでもないおばさんが、哲学的だったり、物知りだったり、聞けば感動するような激動の人生を送っていたりっていうね。(「わが秘(うち)なる東京」『TWINArch(ツインアーチ)』2004年10月)

永六輔の書いた色紙です。絵は棟方拡大永六輔さんが安住正子さんに書いた色紙。絵は棟方志功=筆者提供

 この東京商工会議所の広報誌(2013年に廃刊)には、正子さんの俳句も紹介されている。

 初刷りや筍差しの思いっきり 正子

 販売スタンドの筒状に差した新聞をこの業界では「筍差し」と表現していた。

 浅草橋駅西口のあと後楽園場外馬券売り場(金・土曜日のみ)などを経て、2010年、地下鉄千代田線の売店を最後に正子さんは退職した。75歳だった。

 正子さんが街頭スタンドに立った時代は、新聞や雑誌を作る人、売る人、読む人に報道に対する信頼感があり、政治や経済だけでなく、正子さんの記事のような「街の噂」を楽しんで読む読者もいて、ジャーナリズムが活発に機能していたような気がする。

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筆者

松本裕喜

松本裕喜(まつもと・ひろき) 編集者

1949年、愛媛県生まれ。40年間勤務した三省堂では、『日本の建築明治大正昭和』(全10巻)、『都市のジャーナリズム』シリーズ、『江戸東京学事典』、『戦後史大事典』、『民間学事典』、『哲学大図鑑』、『心理学大図鑑』、『一語の辞典』シリーズ、『三省堂名歌名句辞典』などを編集。現在、俳句雑誌『艸』編集長。本を読むのが遅いのが、弱点。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです