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饗宴の儀、雅子さまのフリルと美智子さまのケープ

矢部万紀子 コラムニスト

 前回、「即位礼正殿の儀」での雅子さまのまばたきについて書いた。陛下と秋篠宮さまは、ほとんどまばたきをしなかった。国事行為や宮中祭祀においても平常心でいるお二人。それが天皇家に育つということ。嫁いだ雅子さまもそこを目指さねばならないのだとすると、「平常心への道」はたやすくはない、と。

 同時に、その道は決して暗くはなく、明るいと感じた。今回は、そのことを書こうと思う。

 即位礼の日の午前7時過ぎ、雅子さまは1人で赤坂御所を出発した。オフホワイトのジャケットに同色の帽子。雨が降る中、車の窓を開けて、にこやかに会釈をしていた。台風によりパレードは延期されたが、沿道には大勢の人が待ち受けていた。雅子さまは、その人たちに手を振っていた。笑みが絶えることはなかった。

「即位礼正殿の儀」のため、赤坂御所を出る皇后さま=2019年10月22日「即位礼正殿の儀」のため、赤坂御所を出る皇后さま=2019年10月22日

 大勢の人を前に、にこやかに手を振る。令和になって以来、雅子さまにはもう当たり前の光景だ。だが体調の悪い頃は、そうではなかった。大勢の人に囲まれるのは苦手で、カメラを向けられることがプレッシャーになる。そう言われていた。駅頭で待ち受ける人々に、「フラッシュをたかないでください」と警備員が叫ぶ。それが、決まりになっていた。

 外務省職員時代から「皇太子妃候補」としてカメラに追いかけられたことが、トラウマになっているという解説もあった。だけど、それだけではないように感じていた。雅子さまはもっと仕事がしたかったのだという指摘は、精神科医の香山リカさんが早くからしていた。香山さんと同学年で、雅子さまの3学年上の私としてはすごくよくわかった。

撮られることに折り合いがついた?

 仕事の世界では、「受け身」はいけないこととされる。自ら動く。能動こそが評価される。ハーバード大でも東大でも外務省でも、雅子さまは自ら努力し、評価を得てきた。だが、「皇室外交」を望んだ雅子さまの予想に反して、皇室で一番期待されたのが男子出産だった。余計な努力は求められず、期待されたのは努力だけでは結果が出ないものだった。がっかりする。傷つく。「適応障害」と診断された。

 能動がダメとされた時に、受け身を喜べと言われても難しい。「撮影される」にも意味を見出せない。だから、「撮影される」がセットでついてくる「大勢に囲まれる」が苦手となった。これが、私なりの理解だった。

 だが、それから一転。皇后になってからの雅子さまは、大勢の人の前で楽しそうだった。駅で、沿道で、大勢が待ち受け、スマホを向ける。雅子さまは、ほほ笑んで手を振る。最近ではもう、なじみの光景だ。

JR東京駅に到着した天皇、皇后両陛下=2019年9月29日午後7時28分、代表撮影JR東京駅で=2019年9月29日、代表撮影

 雅子さまは、撮られるということと折り合いをつけることが出来たのだと思った。それはつまり、皇室で生きることと折り合いをつけられたということだろう。よかった、よかったと、勝手にほっとしていた。

 とはいえ、「即位礼正殿の儀」だ。「儀式」の中でも超がつく重要なものだから、さぞや負担だろうと心配していた。ところが

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