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夭逝のアーティスト・バスキアに見る落書きの魅力

1980年代に彗星のごとく登場したのアーティストはなぜ人を引きつけるのか

小川敦生 多摩美術大学芸術学科教授、美術ジャーナリスト

ピカソとバスキアの違い

 東京・六本木の森アーツセンターギャラリーで開催中の「バスキア展 メイド・イン・ジャパン」に出かけると、落書きとしか思えないようなたくさんの“作品”と出会う。絵の具を乱雑に塗りたくって顔を描いたような絵もあれば、「書きなぐり」という形容がふさわしい文字だけの作品もある。「こんなものが美術といえるのか」と感じる人もいるだろう。

 その点では、ピカソをほうふつとさせる。ただ、バスキアの絵はほんとうに落書きのような風情なので、現代美術に関する知識がなくても親しみやすく、楽しめる。

 そもそもバスキアには、ピカソらの前衛画家とはまったく違った側面がある。スタートが正真正銘の落書きだったことだ。

 幼い頃から絵心を自覚していたとしても、生き馬の目を抜くような行動力とパワーを必要とするニューヨークで、すぐに画家になれるわけがない。1970年代、10代のバスキアは地下鉄や街の壁にまさしく「落書き」をしていた(その後、美術批評の世界で、こうした落書きは「グラフィティ」と呼ばれることになる)。あくまでも違法行為である。

媒体を選ばず衝動的に描いた絵に天性が表れる

 しかし、そこには創造性が開花があった。心の中から湧き出す表現の発露としてバスキアの「落書き」が、先鋭的な感性の持ち主を刺激するのは必然だったに違いない。やがて一部のギャラリストの目に留まり、随所で個展を開くようになり、80年代半ばにはポップアートの雄、アンディ・ウォーホルに認められて共同作業を始める。 アメリカン・ドリームを美術の世界で成し遂げたスター作家という見方もできる。

 この展覧会を監修した美術史家の宮下規久朗さんは、「バスキアは最初文字の落書きから始め、80年以降絵を描くようになって大成功した。天性の色彩画家だ」と話す。一方で、「カンヴァスに描いた作品は少ない。人の家に泊まるとドア、冷蔵庫、棚、椅子などあちこちに勝手に絵を描いてしまい、問題になった」とも。

 媒体を選ばず衝動的に描いた絵に天性が表れる。それが、バスキアだったのだ。

拡大ZOZO前社長の前澤友作氏が123億円で落札した米国人アーティスト、バスキアの《Untitled》(1982)が公開されたときの報道写真より=2017年10月、東京都内、朝日新聞社撮影

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筆者

小川敦生

小川敦生(おがわ・あつお) 多摩美術大学芸術学科教授、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩美術大学芸術学科教授。「言語メディア」「音楽と美術」などの授業を担当。同大学で発行しているアート誌「Whooops!」の編集長を務めている。一方では「日曜ヴァイオリニスト」「ラクガキスト」を名乗り、アマチュアながら演奏とデジタル絵画制作に興じる顔を持つ。現在は日本経済新聞などの媒体に美術記事を寄稿しているほか、音楽之友社運営のウェブマガジン「ONTOMO」で「日曜ヴァイオリニストの“アートな”らくがき帳」を連載中。これまでの主な執筆記事は「パウル・クレー 色彩と線の交響楽」(日本経済新聞)、「絵になった音楽」(同)、「ピカソ作品の下層に見つかった新聞記事の謎」(日経ビジネス電子版)「なぜ怪物が描かれたのか?——クリムトが描いたベートーヴェンのアヴァンギャルド」(ONTOMO)など。一般社団法人Music Dialogue理事。