子どもの本でロシアと出会う
コルサコフとアレクサンドロフスク・サハリンスキーに同行してくれたロシア人のガイド、ワシーリィさんは、驚異的な博識で、訪ねた場所ごとの歴史的な解説に加え、道端に咲く花々の名を、ロシア語やアイヌ語、日本語で、たちどころに教えてくれた。ペレストロイカ以降、日本人のガイドを多く務めるようになり、日本語は独学で習得したという。ネイチャーライフを愛し、植物学や地理学の論文まで目を通す読書家だ。サハリンの金カム聖地巡礼がもっと盛りあがることを願い、ワシーリィさんに『ゴールデンカムイ』近刊数巻を渡してきた。
ワシーリィさんとは、文学についてもおしゃべりした。
「マヤコフスキーの詩は、ロシア革命やソヴィエトがどういうものだったか知らないとわからないから、いまの若いひとたちは、あまり読まないですね」
「マルシャークは、わたしが子どものころはよく読まれていましたが、いまの若いひとには、あまり読まれない」
そのワシーリィさんと、「そう、それ!」と、とりわけ盛り上がったのは、子どものころに読んだ絵本についてだった。
『マーシャとくま』『3びきのくま』『おおきなかぶ』『てぶくろ』(福音館書店)……。
日本版の絵本の表紙をスマートフォンでワシーリィさんに見せながら、幼いころ意識しないままに、ずいぶんとロシアやウクライナの物語に触れていたのだと気づかされた。『3びきのくま』はトルストイの作品だ。
自分が住む国と異なる国やそこに暮らすひとびとを近しく感じさせてくれる媒介者として、本がはたす役割の大きさを思う。とりわけ、絵本やマンガのように、子どもや若いひとがうけとる物語の影響力ははかりしれない。

「サハリン州立郷土博物館」(旧・樺太庁博物館の建物)=撮影・筆者
本に関心をはぐくまれ、本を持って旅に出れば、その土地はさらに親しい場所となる。
少し意識してみれば痕跡やモニュメントは至るところにあり、土地に刻まれた歴史が、いま現在もつづく痛みとしてそこにあることに、断片的ながらも想像がめぐる。

「サハリン州立郷土博物館」に展示されている樺太アイヌの衣服=撮影・筆者
先住民族、流刑者、移住者、独ソ戦や日ソ国境の兵士たち、引き揚げ者、残留日本人、残留朝鮮人、粛清による死者、大震災の被災者、出稼ぎ者――短い滞在の浅い見聞によるものだが、この島に暮らしてきたさまざまなひとたちのことが、これまでとはちがう輪郭をもって胸に刻まれた。多彩なルーツを持つ顔立ちのひとびとが行き交うサハリンで、歴史は本のなかだけではなく、いまここにこそあるのだと感じた。
著者の方のサハリン行きに便乗しての金カム聖地巡礼の旅だったが、じつは、これからの新しい本への伴走を視野に入れての旅でもあった。
著者――ノンフィクション作家の梯久美子さんは、サハリンへ流刑となったポーランドの独立革命家にして、樺太アイヌと深く親交を結んだ民族学者、ブロニスワフ・ピウスツキ(1866-1918)についての執筆を準備されている。サハリンと日本、そしてポーランドをつなぐ、旅の記憶を交えた壮大な人物伝の誕生を、期待とともに予感している。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。