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子どもの貧困を描いた『八月のひかり』の衝撃

言葉の向こう側にある本当の姿

堀 由紀子 編集者・KADOKAWA

 7人に1人だから約270万人……「論座」を読んでいる読者の方なら、この数字にピンとくると思う。貧困状態にある子どもの人数だ。18歳未満の子どもの貧困率13.9%から割り出したもので、ひとり親世帯にかぎっては、貧困率が50.8%と過半数を超えている(2016年に厚生労働省が発表した2015年の統計値)。

 貧困とは、ざっくりいえば、手元に残る年間のお金が、集計された中央値の半分未満しかない世帯のこと。2015年の中央値は245万円だから、122万円未満ということだ。122万円となると月に使えるお金が10万円ほど。電気、ガス、水道、スマホのライフライン代と家賃はマストでかかるから、使えるお金は多くても半分ほどだろうか。

 先進国で構成されるOECD(経済協力開発機構)の貧困率の平均13.2%(13年)を上回っており、主要36カ国で日本は24位だ。世界と比べても抜き差しならない状況だ。豊かなはずの日本でなぜ? 無限の可能性を持つ子どもたちがなぜ270万人も貧困状態にいるのか。私は自分なりに子どもの貧困率の問題に関心を持っていて、状況をそれなりに知っている、と思っていた。

貧困状態にある子どもは7人に1人。ひとり親世帯の貧困率が50%を超えるのがこの「豊かな国」の現実だ=写真はイメージ貧困状態にある子どもが7人に1人、ひとり親世帯の貧困率が50%を超えるのがこの「豊かな国」の現実=写真はイメージ

 そんな私に、バケツの水を真正面から浴びせてきた本がある。自社グループの本で恐縮だが、『八月のひかり』(中島信子著、汐文社)だ。

 「これ読む? お昼ごはん食べながら読んでたら途中から食べられなくなった」と上司がすすめてくれた。帯には、

 「どうしてこんな毎日なの? 誰のせいなの?」

 とある。私は、号泣できるとかつらいとか、そういった部類の小説や映画は苦手なのだが、この本は児童書で、そこまで厳しい描写はないだろうと考え、読んでみることにした。全体で125ページしかなく、1ページの文字量も少ない。30分ほどで読んだ。だが、静かな衝撃が今も私の中に残っている。

いつも空腹な子どもたち……その表現に息をのむ

『八月のひかり』『八月のひかり』の著者・中島信子さん
 主人公は小学校5年生の美貴。2年生の弟の勇希と母親の3人暮らしだ。お母さんはふだんスーパーで働いているが、子どものころのけがが原因で足に痛みがあり、もっと働きたいと思いながらも満足に働けない。生活はいつもギリギリで、病気になっても病院に行くのをためらっている。

 美貴はお母さんに代わって家のことをほぼすべてこなす。買い物をしたり、掃除をしたり、洗濯をしたり。買い物といっても使えるお金は決まっているから、弟と二人で食べる焼きそばは、油を1滴だけたらし、キャベツをたくさん入れる。真夏でもエアコンは入れられないし、アイスもお菓子も買えない。

 「ねえ、僕の家は何で貧乏なの?」

 無邪気な弟は言う。美貴だって「なんでこんな家に生まれてしまったのだろう」とときどき思ってしまう。

 決して悲壮感に満ちた話ではない。美貴の健気さには心を洗われるし、勇希の天真爛漫なところもほほえましい。子どもたちを大切に思って頑張り、丁寧な生活を心がけるお母さんにはこちらが元気をもらった。物語は小さな希望を感じさせて終わる。

 だが、私は読みながら息苦しさを感じ、こみ上げてくるものを押しとどめるのに苦労した。美貴と勇希はいつだっておなかがすいているからだ。その表現に息をのむ。

 「美貴は味見をしたことがない。味見をしてしまえば全部食べてしまいそうだからだ」

 成長期の真っただ中にある子どもたちが、いつもおなかがすいている。空腹は根源的な苦しみだ。なぜ子どもたちがその渦中にいなくてはならないのか。これは小説だから、もちろん作者が考えたお話だ。

 だが、きっと遠くない現実が日本のあちこちにある。いまさら何を言っているのか、と思われるかもしれないので弁解がましく記してしまうが、私も子ども食堂やおてらおやつクラブなど、おなかがすいている子がいて、その子どもたちに手を差し伸べる動きがあることは知っている。でも子どもたちが感じている苦しさにまで思いが至っていなかった。

おてらおやつクラブが困窮家庭向けに箱詰めした食品写真説明 困窮家庭向けに箱詰めされた食品。幼い子がいる家庭用には手作りの人形も。この日は33箱用意された=6月25日、奈良県奈良県のおてらおやつクラブが困窮家庭向けに箱詰めした食品や手作りの人形

問われるのは一人一人の大人の側

 「知る」とはどういうことだろう。どこまでいったら、「知っている」といえるのだろうか。

 定義された言葉はとても便利だ。言葉を使えば、雑多な事象や物事がすんなり頭に入ってきてくれる。だけどこれはとても危険なことでもあることに改めて思いいたった。言葉はある種のレッテル貼りにもつながる。ありのままの姿を見る視点を曇らせて、言葉の外側や奥に別の事象があることさえ気づかなくさせる。子どもの貧困、少子高齢化、地方の過疎化……社会に横たわるさまざまな問題を私はどれくらい知っているのだろうか。

子ども子どものために大人ができることは何か

 子どもは生まれてくる家を選べない。国際労働機関(ILO)によって児童労働は明確に禁止されている。自己責任を声高に叫ぶ人もいるが、さすがに子どもに自己責任を押し付けられないだろう。成人するまで育てるのは社会を構成する大人の義務だ。自己責任を問われるとしたら、私を含めた一人一人の大人の側だ。

 この本を紹介するホームページには、赤川次郎さんや宗田理さんほか著名な小説家や書店員さんによる推薦コメントが掲載されている。「いま、わたしに出来ることは何なのか。教えてほしい」と書いている方もいる。私もそう思う。一発で解決するような処方箋はないかもしれない。自分で考えて、できることを探して、少しでも何かしていきたいと思う。

 図書館でもいい、立ち読みでもいい、一人でも多くの方に子どもの貧困のリアルをぜひ知ってもらい、いっしょに考えていけたらと思う。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。