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長塚圭史の演出で『常陸坊海尊』が蘇る

大地に流れる血脈を感じられる舞台に

米満ゆうこ フリーライター


 長塚圭史の演出で、戦後を代表する劇作家・秋元松代の代表作『常陸坊海尊』が上演される。長塚が、自身が主宰する阿佐ヶ谷スパイダースでの活動はもちろん、劇作家・演出家・俳優として活躍を続けるのは周知の通り。その上、三好十郎の『浮標』、北篠秀司の『王将』など、あまり上演されることのない硬派で骨太な作品も手掛け、日本の演劇界に楔を打ち込んできた。また、今年4月にはKAAT 神奈川芸術劇場参与に就任した。長塚が西宮市内で取材会を開き、『常陸坊海尊』にかける思いや、現在の日本、日本の演劇界などについて、ほとばしるようなエネルギーで話してくれた。

弱者が追いやられる構造に劇がある

拡大長塚圭史=岸隆子 撮影

 長塚がまずこの作品に惹かれた理由は何だろうか。「KAAT神奈川芸術劇場から作品を読んでみてほしいと言われ、読むと不覚にもというか不幸にもというか(笑)、胸を打たれてしまいました。1997年に蜷川幸雄さんの演出で、白石加代子さん、寺島しのぶさん主演で上演されていますが、あまり上演されていない。ところが、これが本当に大変なんです」。

 常陸坊海尊は、源義経の忠臣として弁慶らと共に都落ちし、義経最期の場所である奥州平泉での衣川の戦いを目前に、主を見捨てて逃亡した後、不老不死となり400年以上を生きて源平合戦を人々に語り継いだと言われる伝説の人物だ。演出するにあたり、これまでにないぐらい準備が必要だという。

 物語はこうだ。戦時中、東京から東北に疎開した啓太と豊は、常陸坊海尊の妻と名乗るおばば(白石加代子)と、彼女と暮らす美しい少女・雪乃(中村ゆり)と出会う。啓太と豊は雪乃から常陸坊海尊のミイラを見せられ戸惑うが、次第に妖艶な雪乃に惹かれていき、特に啓太はおばばに母親の姿を重ねるようになる。16年後、東京に戻って成人し、小さな会社に勤める豊(尾上寛之)は、岬に近い神社で巫女を務める雪乃と、戦後、おばばたちとともに消息を絶った啓太(平埜生成)と再会する。そこには雪乃によって魂を抜かれ変わり果てた啓太の姿があった。

 「この作品は大きく言えば、弱者が追いやられる話で、その構造の中に劇があるんです。学童疎開で遠くの山に来ている子どもたちもそうですし、イタコ、山伏、娼婦など今まで必要とされていたものが国家の都合によって徹底的に追いやられていく。そして今度は、社会を立て直すために、復興という名のもとに、歯車のように働かされる。社会人となった豊も生きている実感がないままに人生を過ごすんです」。

生きること、稼ぐこと、山と寺、神社がーつにつながる

 おばばが海尊と出会う回想シーンや、登場人物が助けを求めるときに、常陸坊海尊が登場する。

 「義経の衣川の戦いから逃げて、逃げたことを悔やみ、その罪を償おうと諸国を行脚して、義経記を人々に語った仙人が海尊です。海尊は弱者に語りかける。現在でも、一番弱い人のために、お寺でも神社でもなく、求められるところに海尊さまが存在しているんじゃないかと僕は思うんです。人間は皆、罪深い。あなたの罪を私が背負いましょう、と海尊が人間の弱さを救ってくれる。これはあらゆる時代に通用するし、格差社会と言われている現代にも響くなと思いました。それと同時に、僕らが住んでいるこの大地に脈々と流れる、血脈を感じられる作品にしたいです」

 「死者と話すことができるイタコであるおばばは、異界とつながる存在で、あまり僕らの生活の中には実感がないじゃないですか。その実感のなさを確認しに、山形の出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)に行ったんです。そうすると色んなことが見えてきました。原風景みたいなものですね。知らないし、行ったこともないのに、何か僕らの血脈の中に流れている気がするんです」

 湯殿山のあたりには、即身仏がたくさんいるという。「土の中で、食物を断って水だけを取って、自らミイラになっていくのが即身仏。そういうのが実際にあるんですね。何年かに一回は即身仏の法衣を着替えさせるけれど、古い法衣は細かく切ってお守りとして1000円で売っているんです(笑)。『買ってもいいし、買わなくてもいいけど、御利益がありますよ』と山形弁でバンバン言われると、お参りすることや生きること、稼ぐこと、山と寺、神社が一つにヒューツとつながっていくんです。琵琶の専門家にも話を聞いたり、僕が知らなかったものを体内に取り入れていく。体に入れて、稽古場で皆さんに発信する。そういうことはなかなか面白いです」と語る表情は、まさに生き生きとしている。

白石加代子は立ち上がるだけでドラマにする女

拡大長塚圭史=岸隆子 撮影

 白石は「もう一度おばばを演じたい。この作品でやり残したことがある」と言っているそうだ。

 「そんなうれしいことはないですよね。非常に心強く、彼女と対話を重ねていることも有意義です。白石さんと、白石さんの旦那さん、シェイクスピアの翻訳で知られる松岡和子さんと食事をさせていただいて。松岡先生は晩年の秋元さんと交流があり、海尊や雪乃はどんな人物なんだろうと皆で話をしたりして、濃い時間を過ごさせてもらっています」

 長塚は白石と一緒に仕事をするのは4回目になる。

 「ものすごい情報量の入った肉体を持たれた方なんです。また、彼女の肉体や思考、発声もさまざまなエネルギーをはらんでいる。年を重ねてもまだまだ色気のあるおばばを演じられるし、白石さんのすごみは存分に発揮されると思います。やっぱりすごいんですよね、体が。時間や時代をはらんでいる。僕は彼女をおんぶして、時代を回るという役を演じたことがあるんですが『絶対、この人落ちないな』と(笑)。僕の体をガシッとつかんでピタッとくっついてるんです(笑)。その足の筋力と体の曲がり具合が、すごいんですよ。鈴木メソッド(演出家鈴木忠志が考えた訓練法)がめちゃくちゃ入っているんですかね。立ち上がるだけで、ドラマにする女ですから。ご自身の年齢と向き合いながらこの劇に向かわれると思いますが、本当に今からワクワクしています」

雪乃問題がこの劇の核心

 おばばや雪乃は海尊を守り、継承する立場でありながら、彼女たちにかかわった男たちは、皆、その妖艶さに取りつかれ、狂っていく。そのパラドックスが何とも皮肉で面白い。

 「そこは雪乃問題と呼んでいます(笑)。雪乃を演じる中村さんが『何なのこの役!』と言っていて。白石さんも『雪乃は何なんだろうね』と。僕の中では、雪乃には“常陸坊海尊”を生み出す才能があると思っているんです。人間はもともと罪深く弱いものであり、女性の危なさ、妖しさが、この世界に罪深き、生き恥をさらす象徴的な人間を作り出す。つまり“海尊”を生み出すという才能につながるんです。おばばはそれを認めたんじゃないかと思っていて。雪乃はその自覚があるのか、ないのか、それを稽古で探していくんですが、どっちなんだろうねと白石さんたちとニヤニヤしながら話しています。面白いですよね。でもあまり作為的になってもいけないし、雪乃の細胞としては分かっているかもしれないねという形で進めていこうかなと思っています。雪乃問題はこの劇の核心で、今からそれを皆とシェアしていくのが楽しみですね」

 その〝雪乃問題〟を踏まえてのラストシーンは長塚にとって衝撃的だったという。

 「秋元さんが、『衝撃のラストで、私はここに行きつくためにこの本を書いていたのだ』と言われていて。自分が書いたラストに自分でビックリしたそうです。僕もどうなるのかと思いながら読んでいて、結末で胸を打たれました。僕らは、ここに向かって突き進むというよりは、必然的にたどり着けるように、道を歩んでいこうと思っています。計算して進むより、そこまでにたどる道のりをどれだけ大切にできるか。初めて出会ったように僕らもラストに出会いたい」

理解できないものの中に真実がある

拡大長塚圭史=岸隆子 撮影

 演出のプランはどう考えているのだろう。

 「海尊は第一、第二、第三と3人登場するのですが、第二の海尊は平原慎太郎。ダンサー・振付家に演じてもらいます。視覚的なアイデアがあって、追いやられていく弱者を伐採される木のように見立てられないか。僕らの都合で木や山は破壊されていく。追いやられる弱者を身体的に表現できないかということを考えています。この劇世界の中で、追いやられる人間や木が、柱として視覚的な効果を生み出せないかなと」

 音楽はDJでプロデューサーの田中知之が担当する。

 「古いものを古いままではなく、違う角度からこの劇を現代に響かせたいので、無謀にも思いっきり電子音楽の田中さんに入ってもらいました(笑)。田中さんとは、電子の音が光線にならないかという話をしています。電子音を使って、いたずらに盛り上げるのではなく、清廉なもの、祈りに通じる光線のようなものにつながっていけないかと。常陸坊海尊というと非常に難しくて、誰も知らないだろうみたいな名前なんですが、読み解いていくと、一個一個の文字がふわっと開けて、仮名文字になっていくようなイメージで、決して難しくはない。何か理解できないものを僕らは跳ね除けるんだけど、理解できないものの中にある真実が僕らにスッと寄り添うような劇に仕上がると思っています。美術や照明も含め、そういう作品を一緒に作っていけるスタッフが集まりました」

東京2020オリンピックと、その今後は?

 『常陸坊海尊』は東京オリンピックが開催された1964年に発表され、日本の演劇界に衝撃を与えたという。来年、東京オリンピックを控え、弱者が追いやられ、格差社会を生み出すという作品のテーマはどう今に響くのだろう。

 「演劇にたずさわっていると、格差社会は実感としては見えてこない。ただ、世間では子どもへのネグレクトや、社会からはじきだされた人たちのニュースであふれていますよね。今後、見えてくるのは、外国の方との付き合いだと思います。何か僕らにはいつのまにか大きなものに乗っかって、他者や弱者を排する動きがあるんじゃないかと。自分たちの小さなコミュニティの中でも起きうるから感じる。近視眼的なものではなく、それをもっと拡大すると見えてくるのではないかなと思います。それは今だけではなく、あらゆる時代に起きている。人間そのものが、そういう精神があるんじゃないか。この国の人たちにそういう性質があるんではないかと感じさせる戯曲なんです」

 「作品はオリンピックの前年と、その年に上演されますが、どうなるのか。東京では色んなものがドンドン作られていて、あと先考えない感じがして、今後、どうなるのかと思います。文化的なところに予算を使ってくれるのはいいなと思うと同時に、今、短絡的に文化にお金を回しているよという世界に向けてのエクスキューズではないよね?と。この先も続いていくので、そこまで考えていますかと思いますよね。オリンピックは未来を感じさせてくれるものです。そういう状態のときに、この劇があって、僕らが今、上演しても身につまされる何かを感じてもらえたらいいなと思います。国家や僕らを支配するものは何なんだろうと、上と下にグーッと流れているようなものを僕は作品から感じていて。この感覚を頼りに、作品をすごいものにしてやろうと思っています」

観客はすごい、そのすごみを刺激したい

拡大長塚圭史=岸隆子 撮影

 10年前に長塚が、「日本の観客は、刺激ばかりを求めて口をポカーンとあけて劇を見ていてやばい。だからこそ、観客の思考を刺激する作品を作りたい」と話していたのが強烈に心に残っていた。今はどう映るのだろうか。

 「10年前は確かにやばいと言っていましたね(笑)。今もやばいでしょ、やっぱり。そう思いますよ。でも、問題が多々あって、その状況を作り出したのは僕たちでもある。観客のニーズに応えて、欲しいものを渡すだけではなく、もっといいものがあるんだよ、こういう風にするといいんだよという作品を提示する。全部が描かれている絵ではなくて、何か欠落している。その欠落しているものを埋める力がある。劇場というのはそもそもすごい場所なんです」

 「僕がピーターだと言ったら、全員がピーターだと思って、劇を見てくれる。『すごいなぁ、秋の紅葉は』というと、何か紅葉が見えてくる。ものすごい嘘がまかり通る世界で、観客にはそれを信じる能力がある。僕らが伝達させることができる。その能力が爆発する場所です。その場所を悪用していいということではない。その刺激をどういう風に扱っていくかということは引き続き、僕も考えていて。今は、危機感を抱いているとは言っても、能力が高いので、その能力を下げずに進みたいという風に思っています。観客たちはすごいですから。そのすごみを少しでもいいから、刺激して、気持ちよくなって、でも刺激が大きすぎると、また、やばい方向に行ったりするから、うまくやり取りしながらいかなきゃいけない。そういう意味での刺激をやめるつもりはないです。明らかに10年前と違うのは、お客さんに対しての期待が高まっているんです」。

 『常陸坊海尊』は十二分に私たちの思考を刺激してくれる作品だ。戯曲を読み、長塚の話を聞いていると、海尊は、どこにでも、私たちの日常に潜み、語りかけてくるような気すらしてくる。観劇後、私たちは受け取るだけではなく、何かがどこかが大きくうごめき出すのかも知れない。

◆公演情報◆
KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『常陸坊海尊』
神奈川:2019年12月7日(土)~12月22日(日)
※12月7日、8日プレビュー公演  KAAT神奈川芸術劇場〈ホール〉
兵庫:2020年1月11日(土)~1月12日(日) 兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
岩手:2020年1月16日(木) 岩手県民会館 大ホール
新潟:2020年1月25日(土) りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・劇場
公式ホームページ
[スタッフ]
作:秋元松代
演出:長塚圭史
音楽:田中知之(FPM)
[出演]
白石加代子 中村ゆり 平埜生成 尾上寛之
長谷川朝晴 高木稟 大石継太
明星真由美 弘中麻紀 藤田秀世 金井良信
佐藤真弓 佐藤誠 柴一平 浜田純平 深澤嵐
大森博史 平原慎太郎 真那胡敬二 ほか

筆者

米満ゆうこ

米満ゆうこ(よねみつ・ゆうこ) フリーライター

 ブロードウェイでミュージカルを見たのをきっかけに演劇に開眼。国内外の舞台を中心に、音楽、映画などの記事を執筆している。ブロードウェイの観劇歴は25年以上にわたり、〝心の師〟であるアメリカの劇作家トニー・クシュナーや、演出家マイケル・メイヤー、スーザン・ストローマンらを追っかけて現地でも取材をしている。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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