前田浩次(まえだ・こうじ) 朝日新聞 社史編修センター長
熊本県生まれ。1980年入社。クラシック音楽や論壇の担当記者、芸能紙面のデスクを経て、文化事業部門で音楽・舞台の企画にたずさわり、再び記者として文化部門で読書面担当とテレビ・ラジオ面の編集長役を務めたあと、2012年8月から現職。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
大河ドラマが描いた/描かなかった朝日新聞社 その4
NHK大河ドラマ『いだてん』に登場する朝日新聞社のシーンは、どれが史実で、どこがフィクションか――。今回は、阿部サダヲ演じる朝日新聞記者の田畑政治が「あんなことをやっていたけれど、実際はどうだったの?」を報告する。もちろん、ドラマで創作されたエピソードについて、「事実とは違う」と、ヤボな文句をつける気はありません。虚と実の間にある面白さを見つけましょう。
結局は戦争で「幻」に終わったが、1940年に東京で初めてのオリンピックが開かれるはずだった。
その招致運動をしていた「まーちゃん」こと田畑政治たちは、日本の良さを海外にアピールするために、分厚い写真集を作成した。タイトルは「日本」。それを大きな木箱に詰めて運び、1935年にノルウェーのオスロで開催された国際オリンピック協会(IOC)の総会に出席した委員たちに配った。
『いだてん』では、この「日本」を田畑が編集するシーンがあった。朝日新聞の同僚たちを自宅に集め、麻生久美子演じる妻・菊枝が作った握り飯をほおばりながら、写真を選んでいく。
タイトルについて、いくつか意見が交わされる中、田畑は「日本」がいいと声高く言う。
ドラマのもう一人の主人公、中村勘九郎演じる金栗四三が、1912年のストックホルム五輪で入場行進するにあたって、プラカードの表記をジャパンではなく「日本とすべきだ」と強く主張した。田畑が「日本」と決める場面は、金栗のあのシーンと対になるものだろう。
この写真集「日本」は、しかし、朝日新聞社が作成したものではない。
金栗の母校である東京高等師範学校の流れを汲む筑波大学の附属図書館(茨城県つくば市)では、所蔵する「日本」の現物を、2019年12月6日まで(11月24日除く)、「令和元年度筑波大学附属図書館特別展~東京1964と日本文化について考える~」で、様々なオリンピック関連資料とともに展示している(会場は筑波大学中央図書館新館1階の貴重書展示室、午前9時~午後5時、入場無料)。中のページのデジタル複写画像も見ることができる。
同展図録によると、「日本」は1935年初めに東京市の市設案内所により作成された。写真の提供元には東京朝日新聞社もあるが、他の新聞社や機関もある。