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アンソロジーは面白い――『イギリス恋愛詞華集』

小林章夫 帝京大学教授

 アンソロジーとは「異なる作者による詩文集」、あるいは「一人の作者による作品集」だが、一般的には「詩撰」である。英文学ではポールグレイヴによる『ゴールデン・トレジャリー(黄金詩集とでも訳すべきか)』(1861)が有名だったが、今となってはいささか古めかしい嫌いがある。誰がいつ選ぶかによって時代の好みが反映されるのだから、これも致し方のないことである。

 別に英文学に限るまでもなく、日本では『万葉集』や『古今集』という詞華集が編纂され、これまでも愛唱されてきたことは有名だろう。いや、もっとも愛唱されてきたアンソロジーは『小倉百人一首』かもしれない。現代において編纂された、やや特殊なアンソロジーといえば、大岡信が長きにわたって新聞に連載した『折々のうた』(岩波書店)をあげるべきだろう。「特殊」というのは、タイトルの通り「日々偶感」のごときアンソロジーだからである。

 文学の人気が低落した今日において、優れたアンソロジーをきっかけに文学、詩の世界を味わうことは心豊かな体験となるし、事実イギリスではブレグジットの大混乱のさなか、2018年の詩集の売り上げが130万部と過去最高を記録したといううれしいニュースが届いている。しかもこの詩集を読む人々が10代から40代という比較的若い層だというから、つい彼我の違いに呆然としてしまうのだ。

 時代がすごい勢いで動き続け、次々と訳のわからないものが出てくる昨今では、のんびり詩を味わうなど、それこそ時代遅れの生き方かもしれないが、逆にそうした時代だからこそ古今東西の詩歌に浸ってみるのも酔狂ではないだろうか。

EU離脱イギリスでは、EU離脱(ブレグジット)で混乱が続くなか、詩集の売り上げが過去最高だという

 再びイギリスを引き合いに出して恐縮だが、あの決して乗り心地がいいとは言えない地下鉄に、1986年から世界の詩が毎週貼り出され(このアイデアはアメリカの作家によるもの)、人々の心を慰めているのを見ると、日本の民放テレビの騒がしいコマーシャル、何でも歌って踊る光景と比べてみたくなるのも致し方あるまい。おまけに地下鉄詩集はまとめられて出版されている(Poems on the Underground、penguin books)。

15編の恋愛詩が自由自在、奔放そのものに

 少し前のことだが、あの講談社から『愛のコトバ LOVE POEMS』(講談社編、2015年)なる訳詩集が瀟洒な装幀で出版されていたが、どうも残念ながらあまり売れなかったようだ。明治以降の優れた訳詩を中心に幸山梨奈さんが構成した恋愛詩のアンソロジーだが、所々に入れられた写真と相まって素敵な本に仕上がっていた。島崎藤村や堀口大學らの名作に加えて、大伴家持の和歌まで含まれたこの詩集、若い女性がハンドバッグに忍ばせるにふさわしい出来映えである。

齊藤貴子編著『イギリス恋愛詞華集』(研究社)齊藤貴子編著『イギリス恋愛詞華集』(研究社)
 ところが、つい最近、齊藤貴子編著『イギリス恋愛詞華集』(研究社)が出版された。副題に「この瞬間を永遠に」という、ぐっとくるような台詞があり(瞬間は「とき」と読ませる)、これまた装幀がお堅い研究社とは思えない(?)洒落たもの。イギリスの恋愛詩15編を取り上げ、原詩に加えてその訳、解説などが付されているから、恋愛詩の「お勉強」にもうってつけ。シェイクスピアの絶品である「ソネット18番」に始まり、縦横無尽に時代を行き来して作品を取り上げる。テッド・ヒューズの「彼女のご主人」など圧巻。ともすれば妻のシルヴィア・プラスの影に隠れて忘れられがちなテッド・ヒューズだが、これはいい詩です。

 というように、普通ならば古い時代から現代まで時代を経て並べられるはずが、このアンソロジーはそんなことお構いなしに、自由自在、奔放そのものに15編の恋愛詩が次々と繰り出されてくる。それが実に楽しい限り。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの「接吻」もいいなあ。

 イギリスの詩、つまり英詩のアンソロジーとなれば、平井正穂編『イギリス名詩選』(岩波文庫)という大物がある。出版後すでに30年弱、毎年のように増刷を重ねており、100編の英詩を取り上げ、もちろん訳もついた上、簡単な注釈もついたこの詩集、イギリスの詩を集めたアンソロジーとしては並ぶものがないし、英文学科の学生には必読書(あるいは必携書)だと言えるだろう。だから増刷を重ねるのである。

古今東西の名詩を味わうのは、もっとも上品な趣味?

 というわけで、英詩はもちろん、英文学という人気のない世界にも、優れたアンソロジーがあって、しばしば人々の心をくすぐるのである。長年英文学を学んできた筆者にとっては、こうしたアンソロジーが珠玉のものと思えるのだが、学生が興味を持たないのなら、年配の方々にその魅力を感じていただきたい。昔、教室で英詩を学んだ人々には、こうしたアンソロジーこそ楽しいはずだ。成績など気にせず、それこそ古今東西の名詩をじっくり味わうなど、今のような時代にあってはもっとも上品な趣味ではあるまいか。

Annette ShafshutterstockAnnette Shaf/Shutterstock.com

 だとすれば、愛や自然の美しさを歌った詩に加えて、是非出してほしいと思う詩のアンソロジーがある。それは筆者の好み以外の何物でもないのだが、諷刺詩である。政治や社会、あるいは個人を諷刺したものでもいい。イギリスの詩にはかつてそうした諷刺詩が賑わいを見せた時期があった。18世紀前半だから、300年ほど昔のことである。

 何を隠そう、筆者がひたすら勉強してきたのは、18世紀の諷刺詩、あえて一人をあげればアレグザンダー・ポープという詩人である。愚劣な政治現象を徹底的にあざ笑い、あるときは三文文士をひたすらやっつけた詩を書き続けた人物である。しかし、今さらそんな下品な世界を見たくはないという人が多いだろうから、こうしたアンソロジーが世に出る可能性は皆無に違いない。しかしもし出版されるようなら、山藤章二さんにデザインをお願いしたい。

 日本の江戸時代を振り返ってみれば、優れた狂歌が数多く出版されていたのだから、まんざら無理とも言えないだろう。とはいうものの、現実の世界が政治も経済も、あるいは教育も大混乱の様相を呈している現代にあっては、詩文の力など及ばないのかもしれない。日本の政治、経済、いや、教育現場の混乱は言うまでもなく、隣国韓国も波乱の日々が続いているし、イギリスはブレグジットで大混乱。香港もどうなることやら。中国だって習近平の独裁体制がいつまで続くのかわかりはしない。

 そう考えてくると、なんとなく安定しているのはトランプが君臨するアメリカ合衆国と、丸々と太った人物が好き放題のことをしている北朝鮮のみかもしれないが、しかしああいう国々で諷刺を書くなど恐ろしい行為以外の何ものでもあるまい。だとすれば、古き良き時代を材料にした諷刺の矢を楽しみながら、傑作をじっくり味わうしか道はないのである。こう考えると、ますます気が滅入ってくるから、やっぱり愛と恋の世界に慰めを求めようか。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。