【4】赤坂小梅ほか「炭坑節」
2019年11月25日
さて、日本人なら誰もが知っているのに、その「歌枕」の所在をほとんどの人が誤解している唄がある。そして、その誤解を誘導した「首謀者」がいるのにそれを誰も知らず、さらにその「首謀者」の意図には現在に至る戦後日本のありようが隠されているのにそれを誰も知らない、そんな「誰も知らない」づくしの唄がある。
その「唄」とは炭坑節。そして、「首謀者」とは、GHQ、すなわち昭和20年(1945)8月15日〜昭和27年(1952)4月28日まで日本を占領統治していた、マッカーサー元帥を司令長官に戴く連合国軍総司令部である。
「炭鉱節(正しくは「炭坑節」だが原文ママ、筆者)でよくうたわれている文言は、私の頭にある限り、高い煙突のない『三池』でなくて、三井田川炭鉱のことである。『一山二山三山越え』というのは田川の香春岳のことだし、『香春岳から見おろせば伊田の竪坑が真正面』というくだりも、正に三井田川炭鉱そのものをさしている。だから文言の出身は田川というのが私の判断。田川の人達は『三井炭鉱の上に出た』といったに違いない。『三井』というべきなのに『三池』といってしまったのは誰か、私には答えは一つしかない。戦後の石炭至上の時代に、日本の炭鉱に指令を出していたのはアメリカ軍だ。軍の本拠地は三池におかれていた。だからアメリカ軍が『三池炭鉱の上に出た』といわせたに違いない、というのが私の推理だった」
もちろんここで着目すべきは、「だからアメリカ軍が『三池炭鉱の上に出た』と(ウソを)いわせた」という断定である。
しかしながら、そのための前提がよそ者にはストンと落ちない。奥田はそもそも炭坑節は三池炭鉱を歌ったものではないと言い、資料提供者の市職員も、「奥田さんにいわれなくても、大牟田の人間はみなそう思っています」というのだが、子供の頃から「三池炭鉱の上に出た」と歌ってきた私には、そして筑豊と三池の違いもよくわからない関東のよそ者には、やれ高い煙突があるのないの、やれ山の越え方がどうのと歌詞を証拠に上げられてもピンとこない。
と、市職員から「現地に行けば一目瞭然」といわれ、わが目で確かめるべく三池から列車を乗り継ぎ優に3時間はかけて筑豊の中心地、かつて三池と並ぶ三井の有力炭鉱で栄えた田川伊田へと向かった。
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