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『いだてん』の職場が襲われた、二・二六事件

大河ドラマが描いた/描かなかった朝日新聞社 その5

前田浩次 朝日新聞 社史編修センター長

ひっくり返された活字ケース

拡大襲撃でひっくり返された活字ケースと軍靴で踏みにじられて散乱する活字=1936年2月26日、東京朝日新聞社

 活字ケースが床に散乱していて、足の踏み場もない。東京朝日新聞が二・二六事件で襲撃されたことを物語る写真である。

 トラックが社の前の数寄屋橋の西側に停車し、下車した兵士たち数十人が社に向かってきたとき、警備の松山万太郎は、玄関の大戸と輪転機工場の入り口を閉めるように仲間に命じた。また輪転機の電気部門の担当だった志田清は、制御盤室で輪転機の電源を切り、室の電灯を消して扉を閉めた。

 兵士たちは工場の鉄の扉に斧をふるったが、結局突破できず、制御盤室にも侵入しなかった。

 技術部長の江碕達夫が兵士の指揮者から「機械を壊したら一週間くらい発行不能か」と聞かれ、機転をきかせてこう答えた。

 「あの大量の活字なら補充が困るが、機械はすぐ修理ができる」

 その答えを真に受けた兵士たちは活版部で、鉛の活字を揃えて収めていたケースをひっくり返し、襲撃から30分ほどで引き上げていった。

 実は活字ケースは、関東大震災の経験から、また見習いの技術者が活字を扱う訓練用としても、別の部屋にも置いてあった。機械を壊されるよりはるかに被害が少なくてすんだのだ。

 このエピソードは、印刷部門内で語り継がれた。

 この予備の活字を使えば、技術的には夕刊を出すことは可能だった。しかし、部隊が再度の襲撃を警告していったことなどから、発行は見合わせた。当日の夕刊を出さなかった、というのは、朝日新聞社史として繰り返し語られてきたことである。翌朝からは新聞を出した。

拡大二・二六事件を報じた1936年2月27日の東京朝日新聞の朝刊2面(左)。このころの1面は全面に書籍の広告が掲載されていた。右は26日付けで秋田で発行された号外

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筆者

前田浩次

前田浩次(まえだ・こうじ) 朝日新聞 社史編修センター長

熊本県生まれ。1980年入社。クラシック音楽や論壇の担当記者、芸能紙面のデスクを経て、文化事業部門で音楽・舞台の企画にたずさわり、再び記者として文化部門で読書面担当とテレビ・ラジオ面の編集長役を務めたあと、2012年8月から現職。

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