桝郷春美(ますごう・はるみ) ライター
福井県小浜市出身、京都市在住。人生の大半を米国で暮らした曾祖父の日記を見つけたことがきっかけでライターに。アサヒ・コム(現・朝日新聞デジタル)編集部のスタッフとして舞台ページを担当後、フリーランスとして雑誌やウェブサイトに執筆。表現活動や、異文化コミュニケーションを軸にインタビュー記事やルポ、エッセイを書いている。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
京都発・無期限ロングラン公演3千回突破の仕掛け人
『ギア』プロデューサー、小原啓渡さんのインタビューの後半をお届けする。筆者はインタビューに先立ち、「フィードバック」という『ギア』が毎公演後に、キャストとスタッフで行う振り返りの場に同席させてもらった。そこで実感したのは、立場関係なく誰もが対等に意見できる風通しのよさだった。そのこともふまえて、後半では『ギア』のチーム作りで心がけていることについて話を聞いた。そして1928ビルのこと、オリジナル作品でロングランを行うことのこだわり、異なるジャンルのパフォーマーを集めた理由、『ギア』に込めた想いなどについてもたっぷりと語ってもらった。
――小原さんの舞台関係の仕事の始まりは照明技術者から。その後、プロデューサーに転向という経歴は珍しいのでは?
そうですね。僕の場合は1999年から、京都の劇場「アートコンプレックス1928」を始めて、プロデューサーに就任したのが始まりです。その前は約7年間、パリを中心に仕事をしていました。コンテンポラリー・ダンスの礎を築いたスーザン・バージュのカンパニーのテクニカル・ディレクターでした。そのカンパニーが解散して日本に帰ってきたタイミングで、この「1928ビル」を友人で建築家の若林広幸が買い取り、声をかけられたのがきっかけです。
――どうして小原さんに声がかかったのでしょうか。
劇場がある建物は元々、毎日新聞社のもの(大阪毎日新聞社京都支局ビル)でした。新聞社は自社で講演会を行うので小さなホールが3階にあったことから、そこで舞台をやらないかと。
――アールデコ調のこの建物は、京都市の有形文化財に指定されています。それだけに、ここで公演をする特別感はありますか?
設計したのは、京都市役所などの数々の名建築を作った武田五一氏。その武田氏のことを建築家として若林が好きで、彼の強い思いがあって、この「1928ビル」が残っています。最初はこの建物を取り壊す話が出ていたのですが、特に三条通りは近代建築が集積していて、それらを守ろうという動きがありました。そんな中で若林がこの建物を買い取りました。若林も、ここから京都の文化芸術を発信したいという思いがあり、単なるテナントビルにはしたくなかった。だからテナントも、ギャラリーなど文化的なものが入っています。
――3階の劇場はアーチ型の空間で、音響も良くて、ここでしか味わえない雰囲気があると感じます。最初はスペースを貸す形で、いろんな劇団や団体が使っていました。
『ギア』を始める8年前までは、ずっと貸し小屋でいろんなイベントが行われていました。そのうちの何度かは僕たちの自主事業も行っていましたが、運営の基盤は貸し小屋でした。その方法だと運営上のリスクが少ない。
――そこから専用の劇場に変えられたきっかけは。
昔からの夢だったんです。僕はブロードウェーが好きで、何度も現地に足を運んで観ていました。単に貸し小屋だけやっていても文化は育たないと思い、新しい演劇の形を作りたかった。ブロードウェー型のロングランで、オリジナル作品の公演を行うシステムが日本にはなく、今もありません。宝塚歌劇団さんや松竹さんでも公演の期間が、大体一カ月です。一つの作品をずっと同じ劇場で上演していく形は劇団四季さんくらいしかなくて、四季さんも主にはブロードウェー等の作品を持ってきているので、そうではないパターンを作りたいという思いがありました。
――いつ頃から思っていたのですか?
20年ほど前、ブロードウェーで『ブルーマン』という言葉を発しない音楽パフォーマンスを観たのがきっかけです。オン・ブロードウェーは収容数500席以上、1千~2千席ほどの大きな劇場で、大体がミュージカル。500席未満の小規模の劇場での上演をオフ・ブロードウェーというのですが、ブルーマンは小劇場で初めてロングランを成立させた作品。公演を観た時に、こんな小さな劇場でもロングランはできるんだ、とはっと気づいたんです。ならば日本でも、うちの劇場でもできると思い、そこから着想を得ました。
――専用劇場に切り替えられた時、一方でこの建物に愛着を持って使っておられた団体も多かったのでは。反感はなかったのでしょうか。
あったと思いますよ。ですが、『ギア』のロングランがこれだけ続くとは誰も思っていなかったと思います。
――そうだったんですか。
100人いたとして100人全員から、1~2カ月でどうせ潰れるだろう、と思われている状況でした。
――そんな中で、8年上演を続けて3千回を超えたところまで来られた。小原さん自身は、始める時から手応えを持っておられたのですか?
ありました。実は京都でロングランを開始する前に2年間、トライアウト(試演)公演を行い、作品を練っていく期間を設けました。その間、各地で一カ月公演を行うなど、通算5回91ステージにおよぶ試演を行い、毎回お客様からアンケートを取っていました。
――アンケートには当初から重きを置かれていたのですか?
はい。構想から約3年かけて準備をし、ある程度のクオリティが確実になり、この作品だったらいけるという確証が自分の中でできるまでは、ロングランをしないと決めていました。それがアンケートで8割以上の人が5段階評価の最高点5を出してくれること。アンケートには回収率があるので100人来て50人しか回答がなく、その中の8割が良いといっても、これは嘘になる。回収率が9割だったら、書かなかった1割の人はダメだったという評価に入れた。9割の回収率で、その9割の人が最高点をつけないと8割にはならないので結構厳しかったです。
◆公演情報◆
ノンバーバルパフォーマンス『ギア-GEAR-』
京都:ギア専用劇場(ART COMPLEX 1928)
水曜日・金曜日 14時/19時、月曜日・土曜日・日曜日・祝日 13時/18時
企画製作:ART COMPLEX
主催:有限会社一九二八(ART COMPLEX 1928)
公式ホームページ
[スタッフ]
演出:オン・キャクヨウ
[出演]
マイム:いいむろなおき/岡村渉/谷啓吾/大熊隆太郎/松永和也
ブレイクダンス:KATSU/達矢/YOPPY/たっちん/ワンヤン/じゅんいち
マジック:新子景視/山下翔吾/橋本昌也/松田有生/福井陽翔人
ジャグリング:酒田しんご/Ren/渡辺あきら/深河晃/リスボン上田/宮田直人
ドール:兵頭祐香/游礼奈/佐々木ヤス子/中村るみ/安東利香
〈小原啓渡プロフィル〉
兵庫県出身。同志社大学中退。インド放浪後、照明技術者として宝塚歌劇や劇団四季、歌舞伎など、幅広い現場で実践を積む。1992年からコンテンポラリー・ダンスの母・スーザン・バージュのテクニカル・ディレクターとして7年間、パリを中心に活動。その後、京都にて近代建築を改装した劇場「ART COMPLEX 1928」を立ち上げ、プロデューサーに転向。「アートの複合(コンプレックス)」をテーマに、劇場プロデュースの他、文化支援ファンドの設立や造船所跡地をアートスペース「クリエイティブセンター大阪」に再生するなど、芸術環境の整備に関わる活動を続ける。他にも、京都で異例のロングラン公演を続ける『ギア』をはじめ、文化芸術を都市の集客や活性化につなげる数々のプロジェクトを打ち出し続けている。