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フランスで作品が拒否される「重い罪」とは?

林瑞絵 フリーライター、映画ジャーナリスト

どんな罪でも許されるわけではない

 前回は、薬物問題で逮捕後も輝かしいキャリアを重ねるフランス人俳優ブノワ・マジメルの例を紹介し、薬物問題に対する日仏の対応の違いを浮き彫りにすることを試みた。薬物俳優を「失敗しても人間だもの」と包み込むフランスと、「非人間」の烙印を押し、社会から追放する日本では、まさに正反対なのだ。

 このように書くと「フランスは罪人に甘い国だ」と思われるかもしれない。たしかに芸術の国フランスは、ことアーティストに対しては、社会保障や社会的な評価を含め、少々甘めな面はあるかもしれない。しかし、もちろんアーティストとて「どんな罪でも許される」というわけではない。場合によっては、芸術活動や制作物まで、しっかりボイコットされる例も存在するのだ。

 例えば、80年代後半から00年代初頭にかけ人気を誇ったロックグループ「ノワール・デジール」のボーカル、ベルトラン・カンタの場合。彼は恋人であった女優のマリー・トランティニャンを、2003年に口論の末に殴り殺した。マリー・トランティニャンといえば、日本で大ヒットした『ポネット』のお母さん役など、多くの作品が紹介されたし、父親は名優ジャン=ルイ・トランティニャンである。

 カンタは事件後、懲役8年の刑を言い渡されたが、2007年に仮釈放、11年には刑務を終了している。その後は少しずつ歌手活動に復帰。しかし、近年はフェミニスト団体がコンサート会場を取り囲むなど抗議活動も高まっており、ツアー中止も余儀なくされている。

 2017年10月には、まるでカンタをセンチメンタルな英雄のように表紙に起用した人気週刊誌「レ・ザンロキュプティーブル」が、謝罪に追い込まれた。やはり犯した罪が重過ぎる場合、たとえ人気アーティストでも「刑を終えれば全てがチャラ」になるほど、世の中甘くない。

ル・モンド紙の報道。人気週刊誌「レ・ザンロキュプティーブル」が
恋人で女優のマリー・トランティニャンを撲殺した
歌手のベルトラン・カンタを表紙に使ったことで論争に発展。
女性誌「エル」は「マリーの名の下に」と題し、マリーの写真を表紙に使い抗議した
人気週刊誌「レ・ザンロキュプティーブル」が、恋人で女優のマリー・トランティニャンを撲殺した歌手のベルトラン・カンタを表紙(左)に使ったことで論争に発展。女性誌「エル」は「マリーの名の下に」と題し、彼女の写真を表紙(右)に使い抗議した=「ル・モンド」紙(サイト)より

反ユダヤ主義発言は完全アウト

 フランスの場合は人種や宗教的な差別など、憎悪や暴力を煽る言動にはしっかり厳しい目が注がれる。例えば、フランスにはデュードネというカメルーン系フランス人のユーモリストがいる。政治風刺などで頭角を現し、コメディ『ディディエ』『ミッション・クレオパトラ』など人気映画に出演するなど、幅広い活躍をしていた。

デュードネ・エムバラエムバラ氏(仏・コメディアン/顔写真)=ヤニック・ブイイ氏撮影 2002年反ユダヤの言動で物議を醸したデュードネ=2002年、ヤニック・ブイイ氏撮影
 しかし一方で、2000年代から言動が怪しくなる。「反シオニズム党」なる政党を立ち上げ欧州議会選に出馬したり、自身のワンマンショーにホロコースト否認論者を呼び顕彰するなど行動が過激化。悪質な反ユダヤ主義発言を繰り返しては、たびたび逮捕されるようになった。

 2013年には、仏人サッカー選手ニコラ・アネルカが、試合中にナチ式敬礼を思わせる「クネル」のジェスチャーをして5試合の出場停止と罰金処分を受けたが、この反ユダヤ主義ジェスチャーを流行らせたのは、アネルカの友人デュードネだった。デュードネの講演や演劇は「表現の自由」の枠内でおさまるものでないとされ、作品の上演中止に追い込まれている。

 また、反ユダヤ主義に関する騒動と言えば、2011年のカンヌ国際映画祭で起きた鬼才ラース・フォン・トリアー監督の言動も記憶に新しい。彼は映画『メランコリア』の記者会見中に「ヒトラーが理解できる」などと発言し、大騒動に発展した。ただし、彼の発言は

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